調剤注射薬の無菌調製製剤TDM薬剤管理指導業務DI注射薬薬品管理トピック

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くすりの話 6回

「分子標的薬」が医療を変える

医療従事者の方であれば、一度は「分子標的薬」を聞いたことがあると思います。この分子標的薬が、今、治療だけでなく、世界の医療経済を変えようとしています。 この分子標的薬をめぐり、日本の医療が世界一と絶賛されているのです。そのことは後で話すことにして、分子標的薬について、私なりに解説したいと思います。

まず、分子標的治療とはある特定の分子を標的として、その機能を制御することによって治療する療法です。その対象疾患はがん、リウマチ、C型慢性肝炎、 クローン病、加齢黄斑変性症などに及んでいます。近年、正常な体と病気の体、正常細胞とがん細胞の違いが、分子レベルで分かるようになってきました。 今までの薬も多かれ少なかれ、分子レベルに作用していましたが、分子標的薬は創薬・治療設計の段階からその標的を定めて治療する医薬品です。
分子標的薬は大きく二つに分類されます。一つは低分子医薬、もう一つが抗体医薬です。低分子医薬品は分子量が500以下と少なく、 細胞膜や核の中まで入り込み、主に標的タンパク質に結合して、働きを止めて薬の効果を発揮するものです。 一般名の最後に~ニブ(nib)や、~ミブ(mib)で命名されています。 一方、抗体医薬品はメカニズムが血清中から抗体のみを分離した免疫グロブリン製剤とよく似ていることから、その名前が付けられました。 その抗体にがん治療効果を高めるハイブリドーマ技術を用い、作られたのがモノクローナル抗体です。 分子量が50万~70万のタンパク質で受容体の細胞外突起に作用します。一般名の最後に~omab(マウス抗体)、~ximab(キメラ抗体)、~zumab(ヒト化抗体)、 ~[m]umab(ヒト抗体)で命名されています。さらに免疫抑制剤タクロリムスやシクロスポリンも広義の分子標的薬に含まれます。

大腸がん、乳がん、リンパ腫等のがんにおいては、治療になくてはならない薬となりました。 分子標的薬はその効果はもちろん、治療においては患者さんのQOL(生活の質)に大きく寄与しています。特に関節リウマチにおいては、 投与方法(点滴か皮下注)、自己注射可能か、いろいろな投与間隔(1~8週間)、メトトレキサートが投与できない腎不全・肺障害患者への投与が可能、 感染症や結核の既往歴、そして価格など患者さんの生活に応じた最善の選択ができるようになりました。

さらに今、世界の医療を変えようとしている免疫チェックポイント阻害剤(以下PD-1)が出現したことです。 がん細胞は人間が持っている免疫細胞にブレーキとして働き、免疫細胞の活性を抑えます。PD-1はそのブレーキを阻害する薬です。 このPD-1を開発したのは日本人です。現在、ニボルマブが悪性黒色腫に適応を持っています。将来的には、ホジキンリンパ腫などのがんに効くと考えられています。 ただ、PD-1の問題点は価格が高いことです。1バイアル70万円もします。

日本には世界一といっても過言でない、皆保険制度、高額療養費制度があるのです。たった1枚の健康保険証で全国の医療機関を受診でき、 普通のサラリーマンであれば、月8万円ちょっとの自己負担で、受けられない保険治療はないことです。 しかし、分子標的薬はたいへん高額で、3割自己負担の人であれば、すぐに8万円は超えてしまいます。なぜ、こんなに高いのか。 分子標的薬の開発はほとんどが米国で、米国では薬の価格は製薬メーカが決めるのです。オバマ医療の前は、治療を受けられない国民が4千万人もいた国です。 医療に関しては弱肉強食の国なのです。日本では厚労省が薬の価格を決めるので米国ほど高くはありませんが、やはり高額です。 結局その高額な分子標的薬は国民の税金で負担されています。私は外国人と医療のことで会話すると、みんな「日本はすごい国ですね」と北欧の人でも驚愕する。

さらに、日本の医療はオーダーメイド医療に突入し、分子標的薬の位置はさらに高まっています。しかし、分子標的薬の開発に関しては欧米が主流で、 日本は遅れてしまいました。その理由として、薬の価格制度を建値制(製薬メーカが薬問屋に卸す価格を決定できる制度)に変え、 その変更時期を見誤ったと私は思っています。この制度の導入により製薬メーカの資金力を安定させ、外国メーカに対抗できる企業を育てるための施策であったはずです。 ところが、当時はバブルが崩壊し、日興証券、北海道拓殖銀行などが倒産するなど厳しい時代で、薬問屋さんは合併の嵐、病院は赤字経営を余儀なくされていました。 その中で製薬企業だけが安定した経営を維持し、そこで得た資金を従業員の給料や薬の販売推進に向けられた経緯があります。 当時の資金が研究費に回られていたなら、日本は世界一の医療産業国家になっていたと考えられます。

遺伝子レベルでの開発が進む中、さらに素晴らしい分子標的薬が出現するでしょう。分子標的薬を全国民が等しく使用できるには皆保険制度、 高額療養費制度は不可欠ですが、今の若い人、特に勤労者にこれ以上負担を強いることはもうできないでしょう。 診療報酬のマイナス改定も現実となっています。金の切れ目が命の切れ目とならないように願うばかりです。

文責 髙畑 英信

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くすりの話 5回

「週刊文春 本当は危険なジェネリック医薬品」に反論

週刊文春の「本当は危険なジェネリック医薬品」という記事を読まれたことがありますか。
この記事で問題となったところは「薬局で安価なジェネリック医薬品を進められた経験がある人も多いのではないか。 厚労省は医療費削減のために、積極的に推奨しているが、果たして本当に先発薬と同じ効き目があるのだろうか。 その効果と共に安全性や製造ルートなどを多方面で検証した。」という記事である。
この記事を読んで、「同等性」という言葉の定義がこの問題を難しくしている。 「同等性」と判断する基準は国際薬学連合、世界保健機構、国際医師会連盟等において公式に承認されている事項である。 それは、主薬(薬効成分)、その投与量、投与方法、さらに生物学的同等試験(薬物が血液に入る量と入る早さ)が一定の許容範囲であれば、同等とみなすことである。
また、製造国を中国、韓国、インドと国名を挙げて品質に対する管理体制を不安視している。
当院の薬事委員会では、2007年、ジェネリック医薬品への変更を始めたときから、このことを予想していた。 当院のジェネリック医薬品採用基準には33項目あり、当然、どこの国のどの会社の原末であるかも含まれている。 ただし、この資料は外部に漏らさないという条件で入手したマル秘資料である。
ここで、皆さんに言いたいのは、国だけで判断してはいけないことである。中国の期限切れ鶏肉を混ぜて輸出したり、 床に落ちた肉を拾って加工していたりしたことが大きく報道され、毎日服用する薬が食べ物と同じ観点で安全・安心を担保出来ないことを記事は書いている。
しかし、製薬メーカは先発、ジェネリックとも調達する国の如何にかかわらず、メーカ自らの厳格な品質管理体制のもと製造している。 先発品の原末合成は、今や、インド、ロシア、東欧が主流である。私は原末メーカを選ぶ判断として国際標準化機構のISO企画を用いている。 ISOはマネジメントシステムで日本の大企業が採用している世界指標である。 富山県内のジェネリックメーカが世界進出する際には、このISOを用い、製品の安全を訴える必要がある。
一方、ジェネリック医薬品は先発医薬品に比べ、劣っていると考える人が多い。この先入観が間違いである。 新薬は20年前に作られたものをそのままずっと作り続けているのである。私に言わせれば、電化製品が年々新しく開発されているのに、薬はずっとそのままである。 先発メーカは一度製品化すると、医療現場・患者の意見を取り入れた製剤開発を受け入れてくれない。 最近では、特許が切れる数年前にOD錠(口腔内崩壊錠)などを作り、特許期間を延長する姑息な技術に走ってしまっている。
先発メーカには画期的な新薬、ピカ新の薬を開発してほしいと切に願っている。
ジェネリック医薬品で優れている製品を一つ紹介しておこう。
それは、ロキソプロフェン錠60mg「EMEC」である。先発品は皆さんも知っているロキソニン錠である。しかし、皆さんは、ロキソニン錠の欠点を知っているだろうか。 ロキソニン錠のような鎮痛剤は胃に負担を与えないように食後に服用する。しかし、この時、食事の内容によってロキソニン錠の血中濃度が変化することがある。
先ほど述べた生物学的同等試験の結果は、男子健常人20名がある病院で2泊3日過ごし採血しながら得られたデータである。 20のデータが揃うと、個人の血中濃度パターンが多少違っていても全体では有意差なしの統計的マジックに入る。 現にロキソニン錠からロキソプロフェン錠「EMEC」に変更して効かなくなった患者さん、逆に変えたとたん効いてきた患者さんなど様々である。 私はこの時、バラツキ(標準偏差)を重視するが、これも差はない。ところがin vitro(試験管内)の実験で、pHによる錠剤の崩壊を比較したところ、 ロキソニン錠は、pHの違いによって錠剤の崩壊パターンに差があることがわかった。一方のロキソプロフェン錠「EMEC」は、pHによる崩壊パターンの差はなく、 錠剤を小型化して商品化した。となれば、値段が安く、効果が一定なジェネリック医薬品を選択するのは当たり前である。

ただ、このようなデータを解析するには薬剤師の技量が要求される。MR(製薬会社の医薬情報担当者)の意見を鵜呑みにした MR based medicine(MRの意見に基づいた医療)では困るのである。実際、調剤薬局で、そこまで検討しているところはほとんどないであろう。

今回、記事で取り上げられた徐放剤、貼付剤は私も悩んでいる製剤である。徐放パターン、貼り心地はメーカにより差があり、 先発品との同等性データだけで同等であると判断するのは難しい。ジェネリックに変えるときにはこれらの錠形に関するデータはかなり必要であると感じている。

最後に、富山県の医薬品生産額は国内第3位である。平成18年に製造を委託できるようになったからである。 先発メーカ、例えば武田、第一三共、アステラスなどは、富山県内のジェネリックメーカに先発品の製造を委託している。 そうなると、先発品と同じ製造ラインでジェネリック医薬品を作り、刻印・包装が異なるだけの製品も製造されている。 日本の製薬科学技術は世界最高水準にあり、国際的にも評価が高い。日本に住んでいて、世界最高の医療制度、医療を享受されているのに その良さが実感できないのと同じ日本のジェネリック医薬品の水準が高いという認識が乏しい。

先発医薬品をジェネリック医薬品の棲み分けは、限られた医療資源を効率よく活用する手段である。世界に誇れる国民皆保険制度と高額療養費制度を 維持するためにはジェネリック医薬品を普及させ、患者個人負担の軽減、医療保険財政の改善に繋げなければならない。 日本の医療はオイルショック、バブル崩壊でもびくともしなかった。しかし、医療崩壊は少子高齢化が進み、税金で対処できなくなったとき起こるであろう。 それまで、ジェネリック医薬品の変更だけで持ちこたえられるだろうか。

文責 髙畑 英信

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くすりの話 4回

「薬剤師は薬を飲まない」って、本当なの。

「薬剤師は薬を飲まない」という本が売れていることをご存知ですか。
この本は、著者:宇多川久美子さんの体験談をもとに書かれている。学生時代に薬漬けを体験し、さらに手を伸ばせば薬が使い放題の環境から、 薬が効くということはこんなに怖いことだと実感した本人の叫びとも受け止められる。患者、医師、薬剤師が薬に頼りすぎている日本の現状、医療制度に警鐘を鳴らし、 薬と正しく付き合う方法を提案している本といえる(終わりの運動編は別だけど)。

私自身、著者に賛同できる点、批判せざるを得ない点があったので述べたい。

賛同できる点として、病気を治すのは自分自身であることである。抗生物質などを除いて、薬では病気を治すことはできない。 薬は症状を抑えるのに過ぎないという点である。
本当に病気を治しているのは、自身が持っている自然治癒力である。自然治癒力には、身体のバランスを正常に保とうとする恒常性機能維持、 傷を負った時に元に戻そうとする自己再生機能、外部から入ってくるウイルスや細菌などと闘う自己防衛機能がある。 薬は自然治癒力を手助けするものといえる。その中で「熱」のことに焦点を当てている。
多くの人は熱が出ると大騒ぎするが、熱が出るのは免疫力を最大限に発揮し、自然治癒の一環として、熱を出していることを解説している。 また、小児の救急医療にも触れ、小さな子供が高熱を出すと、親御さんはすぐにでも病院に駆けつけたい気持ちになるが、 熱があっても子供が元気にしているのであれば、その状態を是非見守ってほしいと。 つまり、小さな子供は自然治癒力が高いので、体温を上げることで効率よく病気と闘っていると言っている。
しかし、効率を重視する現代社会では、大人になると静かに休んで病気を治すことよりも、症状を抑えいつも通り活動することが優先される。 特に日本人は勤勉さ故に、風邪で熱が出ると、会社を休めないから例えば風邪の症状のみを抑える薬を処方されたり、 薬局で自覚症状を改善する薬を買う。北欧では医師は風邪薬を処方しないと聞いたことがある。風邪には身体を休ませるのが一番だからである。
また、患者さんに対しては「自分はお医者さんじゃないから、病気のことはわからない」と思っている方がいるが、 自分のことを誰より知っているのは自分であるという自覚を持ってほしいと訴えている
批判せざるを得ない点として、薬をすべて風邪薬や慢性疾患薬の扱いにしている点である。特にがんに関しての薬は明らかに現在の水準を知らない。 がんを生活習慣病と言って、抗がん剤を免疫抑制剤と言っている。がんは生活習慣病ではなく、遺伝子の病気であることを理解していない。
また、薬を単なる合成品と言って、原油などから作る化学物質は身体には害であることを強調しすぎである。 私に言わせると、自然に存在しないものはすべて有害であるという考えは納得できない。もっと、人間の知恵が生み出した化学物質を信じてほしい。

この本を書くにあたり著者に欠けていた点は、私が思うところでは、病院に勤務したことがないことだと思う。 現場で「いのち」を救う救急場面に、薬剤師として患者や医療スタッフとの関係を持ったことがない。 また、処方箋という紙一枚のつながりでしか、患者の病気を把握できない保険薬局に勤務し、病名・検査値などの詳細な患者情報が与えられない状況下で、 どうしてこの薬が必要なのか確信を持てないことが挙げられる。

でも、最後にすごく共感できる箇所があったので皆さんにも読んでもらいたい。
薬のメリットだけがクローズアップされていて、多くの人が安易に薬に頼り、薬で健康が守れると錯覚していることです。 私たちは、薬をなるべく必要としない身体になるよう、日頃からもっと自分の身体に気遣い、食事に気をつけ、適切な運動をするべきだと思います。
そして、薬を使わなければならない場面では、自己判断で服用せず、用法・用量を必ず守っていただきたいと思います。 自分が服用するのが、どんな薬であり、どんな副作用があるかを知っておくことも大切です。処方箋に対し、疑問を感じたら、遠慮せず質問しましょう。 処方したお医者さんは嫌な顔をするかもしれませんが、服用するのはお医者さんではなく、自分自身なのですから。自分の身は、誰も守ってくれません。 命が続く限り、私たちは自分の身は、自分で守らなければならないのです。処方された薬を言われるがまま服用するのではなく、 何のために、どういう作用のある薬を飲むのかきちんと自覚することは、意識的な治療の第一歩ともいえるでしょう。
医者頼み、薬頼みから脱却し、自分の健康は自分で作るという意識が広まり浸透していけば、病気を患う人の数が減り、笑顔の和が増えていくのではないでしょうか。
文責 髙畑 英信

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くすりの話 3回

「越中富山の○○たん!」

私が子供の頃、越中富山の売薬に対して随分ひどい言い方をしていたようです。それは、喧嘩の時の最後っ屁の台詞です。 「越中富山の反権丹、鼻糞丸めて萬金丹、馬の小便水薬、お前のかあちゃんアンポンタン!」と言う台詞が私の記憶の中にあります。 いじめられっ子の私は何度も悔しい思いをしていたようです。子供の頃は腹痛、熱発で近所の医院に通うことが多く、置き薬もよく飲んでいました。 紙風船や武者絵・スポーツ選手のパッチ(私達はパッチンと言っていた)をくれる売薬さんが来た時、母の隣で薬箱を見ていた記憶があります。 こうした体験が【おまけ】に弱い性格となり、薬に親近感を持ったものと思われます。
県外の方から出身地を聞かれ富山と答えると、「あー薬の富山ね」でした。「とやーまー名物ー福野ーのー夜高よ?」と歌い、子供心に 「福野の夜高祭り」・行灯は富山県の名物だと思っていました。真実は地元(それも一地域のみ)だけの話であり、県内外で 富山名物は「くすり」なのです。
とは言え、薬が名物と言うのは何となくありがたくない。薬産業は人助け産業であり誇るべきという理屈はわかる。しかし、薬好きとなると話は別である。 薬が多用される社会的背景を考えると気分が鬱になります。鬱の理由は社会的背景の始まりにあります。 元駐日大使のライシャワー氏の著書「ザジャパニーズ」で指摘されているように、島国で農耕民族である 日本人は計画的で勤勉であるという特徴を持つ(四季が明確な北陸はその典型的な地域である)。 その根源は(「結」という言葉が残っている)助け合いの農業に従事してきたからとしています。厳しい自然の中で助け合いから脱落しない様に、 貧しい生活を少しでも良くする為に病をおして働く姿に心当たりのある人は少なくないと思います。私の祖母は湯治と黒い薬を利用していたと記憶しています。 安易に薬に手を出す、否、出さざるを得なかった文化が間違いなくありました。
では、今の豊かな日本にあって、薬を利用してまで勤勉を維持する必要性がまだあるのでしょうか?長寿が目的?世界一でしょ!欲な!
この欲が、日本の長寿世界一を支えてきた国民皆保険を危うくしていると考えます。国民を等しく救済すると医療費が増加の一途を辿ります。 厚生労働省が考えた改善策の一がジェネリック医薬品の使用促進です。薬好きの国民を対象とした一石二鳥の政策なのです。 薬を必要とする世代に、まだ労働力として活躍していただきたいと考えているようです。
ジェネリックに関して多くの意見があります。推進派側(政策)は取らぬ狸云々の物語を書き国民がその通り動くことを期待します。反対派の現場は 確かなものしか信じないことからギクシャクします。この確かなもののモノサシが人・立場によって異なるようです。
その背景には、理科系、文科系の思考パターンの違いがあると無理な考えを披露いたします。薬剤師は理科系の思考が多く、 目で確認したものしか信用しない傾向があります。医師も同じ思考パターンと思います。目で確認できない時は、学術雑誌・学会報告を引用し、 自らの行為の正当性を確保します。役人や事務職は文科系の思考であり自ら作成する物語に酔います。現実の問題点に対して政策立案し予算を計上し、 問題解決の実現を夢見るわけです。最優先は立案どおり事実を積み重ねることであり、成果はその次です。 それ故、現実にある立案以外の雑多な事実は邪魔な存在となります。ここに、ギクシャクが生まれます。
ジェネリック医薬品使用促進は薬好き国民の医療費削減策の一つです。
ジェネリック医薬品は理科系が作り、一定の条件を満たせば申請できます。書類が整っているので認可した文科系が政策に利用する為に使用促進を目論み、 別の理科系が一定の条件はあるが必要な条件が揃っていないので疑問をもっているのが現状です。三者三様です。
こうしたことに振り回され、日々悩ましいのが、アンポンタンの私です。
文責 新山 雅夫

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くすりの話 2回

「質問後、薬剤師がどの様に答えるか観察しましょう」

前回、"大らかな気持ちで「この薬ちゃ、なんけ?」と医師、薬剤師に質問しましょう。"で終わりました。 今回、"質問後、薬剤師がどの様に答えるか観察しましょう"から始めます。

「うーん、これは血圧の高い人に出される薬で、…」と大まかに話す人は細かな記憶が薄れている元プロの薬剤師であり 無難な返答を心掛けていると温かい目で見てください。以前、私は亡き母から玄関に掲げた色紙で無言の諭しを受けていました。 「子供叱るな、来た道だ。年寄り笑うな、行く道だ。実篤」私を守ってくれるありがたい一文です。 「これは血管を広げる働きが比較的穏やかであり、高血圧や不整脈の方に処方されます。注意していただきたいのは○○の様な症状で、…」と 弁舌爽やかな方は現在勉強中で、知識を出来るだけ披露したい新鮮なプロであり意欲を評価してください。 地域性、年齢・人間性なども判断して、ご自分の掛かりつけ薬剤師にして良い方と思われます。

次に、自分に処方された医薬品の目的を考えましょう。風邪かな?と思い診察を受けたら山の様に薬を貰った話はよく聞く話です。 (例えば、解熱剤・潰瘍治療剤、炎症を抑える薬、咳を止める薬、痰を切り喉を楽にする薬、鼻水を抑える薬、咳がひどい時に呼吸を楽にする貼り薬、 うがい薬、口内炎の貼り薬、発熱時飲む解熱剤・座薬、抗生物質・整腸剤などです。インフルエンザならタミフルなどが出ます。) 最近は根拠に基づいた医療が普及し、目的を絞った処方が普通であり、上記の様な処方はあまり見られません。 しかし、依然として、薬が体にとって異物であることに気づかず薬をありがたがる方から頼まれると、医師は必要性の低い医薬品を処方する場合があります。

よくある電話での問い合わせに「今、風邪引いている。1年前に貰った風邪薬を飲んでよいか。症状はよく似ている」というのがあります。
「原則、処方された日数を過ぎた薬は、有効期間の過ぎた薬と考えてください。それと、症状がよく似ていると判断されたようですが、 以前は受診されていますので、今回も受診されることをお勧めします」と返答します。 現物を見ず、投与期間が過ぎ保存方法が明確でない薬に対して我々はコメントしません。症状を判断することは医療行為であり薬剤師は関わりません。 最近は、医師、薬剤師から薬の説明と文書が得られます。それ故、こうした自己判断が多く出てきました。

ところで、皆様は人体・自分の体のこと、病気、薬について勉強したことがありますか?義務教育で病気についてどれだけ学びましたか? 私は雄蕊(ゆうずい=おしべ)と雌蕊(しずい=めしべ)で習いました。そして、自分の体、臓器の働き、命の神秘・尊さ、 そして、死について学ぶ機会はなかったと記憶しています。今、日本の教育現場で医学、薬学、法学、経済、商学など専門分野に関する基礎知識は 提供されているのでしょうか。これらは人間が生きていく上で不必要な知識で、英語や数学より優先度が低いのでしょうか。 自分の体を守る知識、国民として守るべき社会のルール、生活を維持していく為の国との関わり方について誰が子供に教えるのでしょうか。 「なぜ、自分の体のことを知らず、体のことは専門の他人に任すだけで良いのでしょうか」疑問を投げかけ、今回は筆を置きます。

文責 新山 雅夫

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くすりの話 1回

「○○ちゃ なんけ?」

今から、13年前に当院にコンピューターが導入され、全国でも数少ない処方オーダリング(患者さんが処方箋を持たなくてもよい)病院となりました。 そして、その2年後にあの阪神淡路大震災が起こりました。この時の医療救援活動で多くの被災者が自分の病気や薬のことを知らないことが判明しました。 私自身も現地でその事実を体験しました。

その翌年、当院の病棟で薬剤師による薬の説明が始まりました。私達が薬の話をすると、多くの患者さんは 「薬なんか難しくてわからんちゃ。私は○○先生に命を預けとるが。薬は言われた通りに飲んどる。何の薬かは知らんで良いが!」と言い、 私達の話を聞こうとしませんでした。こちらも負けていません。「△△さん、○○先生に命を預けとるがなら、財布と土地の権利書も預けとるがけ?」と聞きます。 「そんな大切なもん、預ける訳が無かろ!」と返事があります。「では、伺いますが、財布と土地の権利書と命とどちらが大切なの?」と聞くと 「命に決まっとる!」と返事があり、私の誘導に引っかかりました。「大切な命に関わる薬の話を聞いてください」と切り出すと渋々聞いてくれました。

平成10年に出た全国老人クラブ連合会の実態調査で、82%の人が「医師の指示通り薬を使用している」と答え、 44%の人が「薬が余る」と答えています。当時の実態です。

次に、今から9年前、外来患者さんに薬の説明書を発行することになりました。病院中大騒ぎでした。 なぜなら、医師が患者に病気の説明を今ほど明確にしていなかったからです。薬の情報を明確に出すと医師と患者の関係に支障をきたす例があったからです。 時間の経過と共にこうした歪みは徐々に修正され、今では、電子カルテを見てもらい、カルテは患者さんのものという意識が医療者・患者さんの 両者に育成されつつあります。

このように、病気や薬の情報公開が始まってまだ10年前後ですが、情報を提供する側、受け取る側も、大らかな気持ちで、 「私の病気ちゃ、なんけ?」「この薬ちゃ、なんけ?」から始めていただきたいと思います。

文責 新山 雅夫


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市立砺波総合病院

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