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2016年10月29日  18:07

南砺市 緑の里講座のバスツアーに行って来ました

ご無沙汰しております。野水@地域おこし協力隊1号です。

10/22に東京国際フォーラムで行われた「ふるさと回帰フェア2016」に参加して来ました。市役所のTさんの頑張りで、かなり多くの方と面談できました。中でも嬉しかったのが、先月開催した当市の移住体験ツアーに参加された方がわざわざ顔を見せてくださったことです。こんなに早く再会できました。知り合えた皆様とは、これからも末永くお付き合いさせていただければと思います。

さて、先日、南砺市の緑の里講座で金沢に行って来ました。福光から出発して、すぐに金沢市二俣町の「松扉山 本泉寺」に到着です。福光からこんなにも近くに、浄土真宗の名刹があったとは知りませんでした。それもそのはず、ここの街道は金沢と越中砺波を結ぶ最短路で、江戸時代は参勤交代も通っていたし、当然昔からお坊さん達もよく通っていたわけです。それで、ここの本泉寺は「二俣のれんにょさん」と言われる蓮如上人ゆかりの寺だったのです。ゆかりもゆかり、蓮如上人が3年も滞在し、作庭した「九山八海の庭園」や上人の御衣、数珠に、なんとご遺骨まであるまさに蓮如上人の寺だったのです。
開基は、元々井波瑞泉寺の開祖 綽如上人が井波に向かう途中に憩った草庵の故地に、その後蓮如の叔父の如乗法印によって開創されたそうです。本泉寺の名も瑞泉寺に由来するそうで、山号の「松扉(しょうひ)」も、松風が寺の戸を叩いた音に由来するそうです。現住職も松扉さんという姓みたいです。
この如乗は井波瑞泉寺の第2世でもありますが、蓮如のたった3歳上の叔父で、歳が近く親密だったのか、後に蓮如43歳の時、父本願寺第7世存如死去に際してただ一人後継に蓮如を推して譲らず、結果蓮如の第8世就任が実現したのだといいます。
その如乗亡き後、本泉寺は蓮如の子の蓮乗が継ぎましたが、この蓮乗がまた面白い人で、室町幕府6代将軍足利義教がまだ義円と呼ばれ、青蓮院の門主だった時に義円と張り合って反抗したそうで、まさかその後義円が還俗して将軍になろうとは想像もしてなかった蓮乗は、その後義円に追われる身となり、各地を流浪した末に瑞泉寺に逃れて如乗の娘婿になったそうです。
その後、本泉寺は金沢若松に移り、翌年加賀守護富樫政親を破り本願寺門徒が勝利しました。この時有名な「百姓の持ちたる国のように成り行き候」と蓮如10男の実悟が記したといいます。この寺には、他にも文化財指定の三角形の屋根を持つ手水舎や山門もあり、また、本堂の欄間彫刻は大正期の井波彫刻の大家 初代横山白汀の作で、また蓮如上人木像は蓮如手植えのさわら(ひば?)を福光の砂田清定氏が彫ったそうです。本当にお宝だらけの寺でした。
その後、バスは「国史跡辰巳用水附 土清水煙硝蔵跡」に向かいました。ここは金沢藩の黒色火薬の製造施設があった場所で、五箇山で作られた煙硝がまさにここで火薬に成っていたのでした。菅沼の煙硝の館に行った時、ここからどこに運ばれたのかと思ってましたが、ようやく謎が解けました。こうして疑問が解決し、新しい知識が得られるというのは素晴らしいです。菅沼では煙硝生産は幕府に隠していたと説明されましたが、解説してくれた金沢市の職員の話では、もちろん幕府公認ですよということでした。
その後も寺町の博物館にも行って、1日歴史を満喫して来ました。


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