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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたグループです。富山県砺波市の国指定史跡「増山城跡」のガイド活動や、関連事業へのお手伝いをさせていただいています。文化庁の「市民から文化力プロジェクト」に参加しています。2020年10月に10周年を迎えました。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://www.city.tonami.toyama.jp/blog/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 36名
主な活動 国指定史跡・続日本百名城 増山城の解説/増山城関連及び関係機関の事業への協力
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2018年08月19日 18:19

砺波市教育委員会は増山城をはじめ、富山城や高岡城、安田城など県内の50の城を紹介する「とやま城郭カード」を作った。
 詳しくは8月10日 北日本新聞(下記)
       8月18日 中日新聞
 

    北日本新聞 クリックすると画面が大きくなります。


とやま城郭カード」城郭一覧   で検索


本保澄雄



  • 基本情報

2018年06月21日 14:10

 6月21日 富山県公文書館で「増山城の縄張りを紐解く」と題し砺波市教育委員会生涯学習・スポーツ課主査(学芸員) 野原大輔氏の講座があった。
 この講座は富山県公文書館が主催する「平成30年度富山県公文書館歴史講座」の第4講として開催されたもの。同講座受講生として、また「曲輪の会会員」として絶対聞き逃せない講座。

 講座概要

  1.城をめぐる動き
  2.歴史を読み解く
  3.縄張りを読み解く
  4.まとめ


講座中の野原大輔氏。



戦国祭りの画像 活躍中の曲輪の会会員が映っている。
 
立体画像見る遊歩道堀切(指棒の下の方)



平面図で見る堀切 上の画像と比較すると面白い。

  
本保澄雄


  • 基本情報

2018年04月09日 07:47

 増山城などが選定された 続・日本100名城 のスタンプラリーが 4月6日からスタートした。
4月6日は語呂合わせで城の日。昨年の4月6日に発表があってからちょうど1年でスタート。
 増山城のスタンプは砺波市埋蔵文化財センターに設置してある。ただし同館の開館時間は9:00〜17:00まで。また月曜日・祝日は休館。この時間はシールで対応とか。
 先に「日本100名城」に選定された 高岡城 では夏場、特にお盆前後には1日に200〜300人が登城。増山城には4月7日午前中には6〜7人の登城者があったとか。雨の中まずまずの出足。今後の登城者増加に期待



    『「続・日本100名城」スタンプ帳』



      増山城 スタンプ 

本保澄雄


  • 基本情報

2014年11月27日 15:59

増山城跡リーフレットがPDFファイルで下記の添付ファイルにございます。
ぜひご利用ください。


  • 基本情報

2014年09月21日 18:41

富山探検ガイドマップ!

「富山にちゃ、何もないちゃ」というけれど、そんなことありません!で始まるガイドマップ、これを持って富山の町歩きしませんか?

編者にはわが会の長江聡氏の名前が!!

わが会もホント!多彩に各々活躍されてます!
手に取ってもらえると嬉しいです!






                曲輪の会 柄崎


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2013年09月20日 10:44



来る10月27日、第5回増山城戦国祭りのオープンに向けてどんどん進んでますよー!
どんなふうになるのでしょうね?
観光交流施設ができることによって、急な雨もしのぐことができます。
ますます城攻めが楽しみになりますね!
               曲輪の会事務局


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2012年09月13日 15:42



ヒヨドリジョウゴの実
これから実の色は緑から赤にかわります



ウドの花



赤色のミズヒキソウ
城内にはいたるところで見ることができ、赤のほかに白もありました



ダイコンソウ



ツリガネニンジン


  • 基本情報

2012年04月23日 13:41

一の丸に自生していた采配欄蘭が弱っていましたので、昨年の12月に会員の高木さんと事務局の柄崎、二人で一の丸の隅に移植してきました。
4月の上旬に北陸を通過した爆弾低気圧の影響がないか心配していましたが、元気に育っていました。花をつけるにはしばらく時間がかかりそうですが気長に待ってあげましょう。
また、一の丸で采配欄を見かけた場合は踏まないように気を配っていただくとうれしく思います。葉は細長くエビネに似た先端がとがっている。


采配蘭
ラン科サイハイラン属
多年草/花期4〜5月 ピンク色と紫色の混じった花びらで花茎の上のほうに紙を切ったような細長い花が一定方向に多数つく。
陣中において大将が軍を指揮するときに使う采配によく似た花をつけます。
           曲輪の会事務局 柄崎


  • 基本情報

2012年03月23日 11:05

 新年度、砺波市は、国指定史跡“増山城跡”の保存・整備に関して、「駐車場の整備」と、「史跡内に説明看板を新設」するとした。
 説明看板は、城跡の中核である「一の丸」や「二の丸」などに設置予定で、市教委では、“史跡と調和した看板にしたい”そうだ。
 看板が設置されることで訪れた方たちには分かりやすく親しみやすい史跡になり、増山城跡ファンとしてはとても喜ばしい事だ。 が、ここでお願いです! 人情味ある曲輪の会メンバーによる解説も今後ともますます利用して下さいますように。

曲輪の会事務局


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2012年03月16日 13:58

 お城のトイレ事情が気になったので少し調べてみた。
 戦国時代、城にトイレを造る場合どんな場所を選んだのだろう?
 当時、トイレを「雪隠(せっちん)」と呼び、排泄物は「不浄な物」として武士にもとても忌み嫌われていたので、城郭では「警備が弱い場所」「本丸」の角辺りに幅1メートル・深さ80センチ・長さ10メートル程の溝(側溝)を掘り、そこに排便していたという。    
 戦の時、近くまで攻めてきた敵側武将は、無意識に雪隠をさけようとするので、敵の大まかな突入進路が分かり、防御側としては応戦体制が事前に準備できるという利点があったようだ。 
 また、押し寄せてくる敵に向け、溜まった糞尿をぶっ掛けたということも… 排泄物も武器(?)にするなんてすごいですね。
 乾燥した遺跡では、雨が降れば水が染み込み、日が照ると干上がるという、延延と繰り返される環境が、トイレ土壌を形成する糞便の主成分となる有機遺物の保存に最も悪いことから、堆積物(糞便)は残りにくく、トイレの発掘例は今でも稀だという。
 何故なら、何のために掘ったのか用途不明の穴が多い中で、糞便堆積物が消えていては、それがトイレの穴であったとしても他の遺構との区別がつかないわけだから。
 そんな希少価値が、備中松山城の、二の丸・本丸に「雪隠・側溝」として残っているというから、一度見てみたいものだ。

曲輪の会事務局


  • 基本情報

2012年02月29日 11:56

 増山城跡で解説をしていると「この山を馬が上り下りできたのですか?」と問われた事が何度かあったが、それは現代の馬の大きさを思っての疑問である。
 古代から江戸時代までの日本馬は小さく、標準として高さ四尺(約121センチメートル)程度という。また戦国時代から江戸初期の50頭あまりについて調べたというものからみても、平均130センチ前後でしかない。ちなみにヨーロッパ中世の軍馬は、平均155センチというからずいぶん小さい。
 では、そんな小さな馬が戦争に使えたのか疑問になる。
 当時は蹄鉄も使われてなかったから、鎧武者を乗せて蹄に重量をかけて踏み切る事は難しかったという学者もいるが、それでも馬がけっこう戦闘に使われていたことは事実のようだ。騎馬の利点は逃げる敵を追いかけるときと自分が逃げるときだそうだ。
 しかし、より役に立ったのは戦闘手段としてよりも、人や物を運ぶ輸送手段としてであった。甲府市の武田居館址から出た馬骨を調べると、前脚の筋肉が発達していて重量物を載せて斜面を上り下りしていた事が窺えるという。
 そんな事を知ると、往時の増山城をポニークラスの小さな馬が荷物を運んでいた様をふと想像してしまった。 

曲輪の会事務局


  • 基本情報

2012年02月10日 14:37

 全国には「おもてなし武将隊」といわれる人たちが居るようだ。
 そう、観光案内等を見ていると有名なお城などに、凛々しい武将姿や足軽の格好をした人、また美しい着物姿の姫たちがいて、案内やパフォーマンス、そして一緒に写真を撮ったりといい記念やみやげを作ってくれる人たちのことだ。いっとき、昔にタイムスリップさせてくれるようで、まことに雰囲気たっぷりのサービスだ。
 そこでちょっと夢想してみた。増山城跡も常時というわけにはいかないが、せめて休日だけでもそのような人達がいたら、もっと多くの層の人たちが訪れるだろうなぁ…と。

曲輪の会 事務局


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2012年01月23日 10:13

今や全国的にも問い合わせや、欲しいと反響のある「山城マップ」が、“砺波地区公民館ふるさと教育推進委員会”より発行されているのをご存知ですか?
 砺波・南砺・小矢部・高岡にある山城を網羅したマップで、主な山城の説明や縄張り図、歴史年表等が掲載されています。
 コンパクトな配置なので、一日に数ヶ所城攻めできるのも魅力。
 とにかく、この「山城マップ」を見ると春が待ちどうしくなること請け合いですよ!




 《山城マップの配布場所》
  砺波・井波・福光・小矢部・高岡の各道の駅、となみ散居村ミュージアム、砺波郷土資料館、砺波市立図書館、砺波市観光協会など
  
 《お問い合わせ先》    砺波地区公民館ふるさと教育推進委員会
      電話:0763-82-1904
      FAX:0763-82-3521

  ※なお、郵送も可能ですので詳細は こちら

曲輪の会 事務局


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2011年12月27日 11:51

 



 ここ数日で大雪になりホワイトクリスマスになりましたね。
 そんな休み明け、用あって増山城跡の冠木門まで行って来ました。
 北の登山口に通じる橋は除雪がしてありましたが、流石に冠木門の前には人の足跡も無く、歩くと膝まですっぽり埋まってしまいます。
 そう言えば冬になる前から、「雪のある増山城跡に登りたい」という話が出ていたことを思い出しました。
 見上げると、山は変わらずひっそりと厳かな感じで、雪が積もっていました。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください。
曲輪の会 事務局



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2011年12月05日 11:45

「神保夫人入水井戸」
 二ノ丸、三ノ丸を経て、亀山城へ向かう途中の池の平にある井戸。謙信によって増山城が落城した折、神保夫人政子が神保家伝来の宝剣を抱いて入水したと『栴檀野誌』にある。他の江戸時代の地誌類には見当たらない。
 「天保11年杉野家絵図」には「池ノ平山」に「池」とある。この図には、「池」はこの一点だけが記してある。

「鐘撞堂」
 二ノ丸の北東隅に一段と高くなった櫓台がある。現地の案内看板には「鐘楼堂」とある。江戸時代の地誌類の中では「鐘」について記しているのは『越の下草』とそれを引用していると思われる『越登賀三州志』の「一書」だけである。

  三ノ丸と見ゆる処は、猶南方にて、時鐘台の跡とて、
 七間四方程の跡あり

 どの郭を三ノ丸としているのかわからないが、『越の下草』では「簱台に用へし石」のある所を「本丸」としているので、通称「二ノ丸」にある「鐘楼堂」をさしていないことは確かである。
 現在の郭の配置を見ると、最も南へ伸びるのは「無常」である。『越の下草』のいう南方の「三ノ丸」をこの「無常」とすると、その先に「鐘撞堂」なるものが存在したらしい。「天保11年杉野家絵図」には「無常」の先に「鐘搗堂」と書かれ、今日呼んでいる「二ノ丸」の「鐘楼堂」は「角櫓(すみやぐら)」と記している。 
         「増山城跡総合調査報告書」p.322より
曲輪の会 事務局



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