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増山城解説ボランティア曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の「市民から文化力プロジェクト」に参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://www.city.tonami.toyama.jp/blog/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 36名
主な活動 国指定史跡・続日本百名城 増山城の解説/増山城関連及び関係機関の事業への協力
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2020年08月08日 13:00

富山県のNTV系列局・北日本放送(KNB)の8/6(木)夕方ニュース内で、「山の日を楽しもう」と題して増山城を取り上げていただきました。
石川・福井のスポットとともに紹介されています。

外部リンク(北日本放送)


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2020年06月16日 22:21

こちら事務局です。

4月より、県道からの増山城入口及び陣屋・周辺の案内板が新装及び増設されています。
以前はトタン地に手書きの看板でしたが、黒地に白文字のシックなものに変わりました。
(画像は4月のものです)





距離表示もあり、散策や登城の皆様にお役立ていただけるものと思います。

5月末に大規模な草刈り等手入れをされている増山城ではありますが、蚊などが多くなっております。登城には熱中症対策は勿論、虫よけもお忘れなく・・・。

事務局


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2020年03月01日 12:59

こちら事務局です。

稀にみる暖冬でしたが、水鳥憩う増山湖にも春の気配を感じられます。
例年に比べ(とはいいつつも昨年同様)雪が少なかったため、オフシーズンの筈の増山城にも多くのお客様がいらしたようです。


隠れたスポット・増山城下町の土塁も草木の繁茂しない今、近付いてじっくり観ることができます。


曲輪の会では4月以降、多数のガイドのご予約を承っております。各地で感染の拡大するコロナウィルスの影響も懸念されますが、現在のところ催行される見通しで城にも賑わいがみられることでしょう。新年度の活動にあたり、お客様そして地域の皆様に喜んでいただけるよう努めてまいります。

感染者による県内旅行のニュースが様々な憶測を呼びましたが、県内で感染の確認がないことから現在は落ち着いている印象を受けます。

山城登城には体力が必要です。少しでも不調のみられるお客様におかれましては、決して無理をなさらず登城を控えていただくようお願いいたします。

曲輪の会 事務局


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2020年01月04日 17:08

2020年1月4日 晴れ
 
久しぶりに晴れ。 毎年欠かさず行っている恒例の正月初登城。
今年は1月4日となった。
昨年も1昨年も1月4日その前年は1月3日。
どうやら毎年1月の3〜4日ごろはお天気が良いようだ。
昨年は雪の積もった登城であったが今年は雪はまったく見当たらない。
山城探索は冬が良いと言われているが人影は全く見当たらない。聞こえるのは鳥の声だけ。身の引き締まるような寒い中を一人で歩くのもなかなか良いものだと実感した。通常のガイドではめったに行かないL郭にも足を延ばした。



増山陣屋は目下閉館中




 
陣屋の通りを挟んで向かい側の空き地は目下工事中。北電の鉄塔が建つとか。



  
普段はめったに行かないL郭




一ノ丸から増山湖を望む。




 
増山湖には冬鳥がいっぱ
い。



2020.1.4
              曲輪の会 本保澄雄


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2019年10月05日 12:15

増山城戦国祭り
 「知の合戦!!城攻めウオーク」クイズ 説明


問 1.増山城は砺波郡、射水郡と何郡境にあった?
答え.婦負郡
説明  増山城は砺波郡、射水郡、婦負郡の境にありました。この地は攻防の舞台となり目まぐるしく城主は変遷しました。



問2.増山城はもとは何という城だった?
答え.和田城
説明 (子ども用)増山城跡リーフレットには
「城の起源は、南北朝時代に書かれた史料『二宮円阿軍忠状』に登場する”和田城”と言われています」
 となっています。
但し(一般用)増山城跡リーフレットには
「和田城を増山城の前身と見る意見と……亀山城をあてる意見があり、決着がついていない」
となっています。(詳しくは同リーフレットで)
更に後から追加したので「増した城」という意味で「増山城」という意見もあります。

  以下次回

2019.10.6
               
曲輪の会本保澄雄


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2019年05月13日 07:12

全国的な「御城朱印」ブームの中、高岡城跡(高岡古城公園)でも御朱印の販売が始まった。
高岡城跡が2015年国指定史跡になったことを記念し、高岡古城公園管理事務所が販売を始めたもの。
高岡市の書家嶋崎一翠さんが記した「高岡城跡」の文字に前田家の家紋である梅鉢の紋を配してある。
大きさは縦18a、横13a。2種類販売。
同公園三の丸茶屋で販売。単品300円、2枚セットで500円。御朱印の収益は、昨冬の大雪で倒木した桜などの維持管理に充てられるとか。







2種類の「高岡城跡」御朱印

    2019.5.13

                                
本保澄雄


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2018年11月08日 17:28

問7. 増山城名誉城主の名前は
 答え 春風亭昇太 さん 


説明 テレビ番組「笑点」でおなじみの 春風亭昇太さんは大のお城好き。テレビ番組や各種メディアで増山城跡を取り上げていただくなど機会あるごとに増山城をPRしてくっださっています。丙申(ひのえさる=平成28年)九月弐拾六日に夏野市長から増山城名誉城主に認定されました。
 


平成21年7月 我々家臣団(曲輪の会会員)に護られ増山城へ初入城。
その後テレビや本などで増山城を何度も宣伝。
洋泉社ムック 『日本の山城100名城』で「城主になりたい山城トップ3」のトップにランク。


    
夏野砺波市長から認定書



 
昇太さんが増山城を案内。




昇太さんの本『城あるきのススメ』




戦国ポロシャツ 『増山之事 元来 嶮難之地』 は昇太さんによる。


(画像は曲輪の会ブログや砺波市のブログなどから)

               
本保澄雄
 


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2018年11月06日 08:13

神水鉢 E 千光寺の心礎を蹲(つくばい)に転用したものか?

神水鉢の用途については、月時計、旗台石、塔心礎などいろいろあるが、今回は新しい説として塔心礎を転用し蹲として利用 説を書く。

  蹲(つくばい)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石おいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。
 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばうようにして身を低くして手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間としても作用する。Wikipediaより 



 
(インターネット「信越北陸諸国の塔跡」より)

「二ノ丸は構造的に見て最も防御された区画であるため、主郭(本丸)と考えられる。・・・中略・・・
 現地説明板では二ノ丸推定心礎は「神水鉢」と云い、窪みには常時水が溜まっており、渇水時にも枯れることはないと解説する。旗台石とする説もある。また旗台石を塔心礎とし、二の丸は仏教施設が存立した空間であったとする説もある。・・略・・
 増山城二ノ丸推定心礎が心礎であることの確定的根拠はないが、大きさ及びその形状、さらに二重の円孔を持つことで心礎であることの可能性はかなり高いであろう。
 では、如何なる由来の心礎なのか。
まず、この山城に塔婆の建立があったとは考え難く、またあったとしても中世後期に心礎を必要とした塔などほぼありえないであろうから、この付近の寺院から搬入し、本丸庭園のなどに転用したものと考えるのが自然であろう。
であるとすれば、如何なる寺院からであろうか。
「幻の塔を求めて西東」では、根拠不明ながら、千光寺からの移転と云う。

そもそも千光寺とは・・・中略・・・

千光寺はかなりの古刹との伝承を持ち、現在千光寺に塔婆の建立があったとの情報は得ていないが、古代に塔婆の建立を見たことは十分考えられるであろう。
さらに当寺は和田川沿いにあり、同じく和田川沿いの増山城の数キロ上流に位置する。もし、千光寺から心礎が搬入されたとすれば、水運で搬入するのに好都合な位置関係にあるのも事実である。
 なお、常に水を蓄えている「神水鉢」は後世の作り話の類であろう。
旗台石であると云う説は形状から連想される後世の思い付きであろう。
あるいは実際に円孔を利用して旗台として使ったことがあったかもしれないが、そうだとしてもこの石が心礎であることの何の妨げにもならないことは自明である。
むしろ旗台のためにわざわざ大石を加工する方が不自然であろう。心礎を転用した方が合理的であろう。
二重円孔式(石の)大きさ156×120 p、
    (孔の大きさ)径28×(深)24 p
            径 7×(深)3 p   」
 注( )は本保が補記
   



 
 神水鉢について長々と書いてきました。
 ご意見などあれば是非教えてください。お待ちしています。
   
               090−7086―5074
 
                
本保澄雄


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2018年11月05日 08:03

神水鉢D

氷見市にある塔心礎

チョット寄り道。
 前回佐伯哲也さんの塔心礎説について書いたが,今回はチョット寄り道をして氷見市に伝わる塔心礎石について書く。

 伝 小窪廃寺塔芯礎石

「いぼ石」と呼ばれるこの巨石は、小窪の通称「塔のすま」から運び出されたと伝えられ、現在は小久米の小久米神社境内に置かれています。8世紀初め頃、小窪に在ったという古代寺院「小窪廃寺」の塔心礎石(塔の心柱を受ける礎石)と考えられます。直径160cmでほぼ円形に整形されており、平らな上面に直径約82pの柱穴がうがたれています。柱穴の大きさは北陸では最大級のもので、この塔心礎を用いた塔の高さは一般には30m前後と推定されます。
    


  氷見市 生涯学習担当(インターネットより)

            
本保澄雄


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2018年10月29日 07:22

神水鉢➂
前回、前々回と二ノ丸の神水鉢について書いたが、またまた神水鉢

神水鉢用途

 神水鉢の用途についてはいろいろの説がある。
まず、前回の投稿の安カ川恵子先生の古文書資料から見てみよう。
  ➀旗台石
  ➁用途不明
  B手水鉢のごとき石
  C神水鉢(月時計)
などの用途を記しているが、内容的には「旗台石」多い。

次に『増山城跡リーフレット」』を見てみよう。
同リーフレットでは神水鉢の用途について「用途は不明で手水鉢、旗台石、塔心礎など諸説がある」として3説を並べている。
  

では、地元研究者はどう見ているのだろうか

・旗台(旗竿)石説 老松邦雄さん
・塔心礎説    佐伯哲也さん

まずは老松さん旗台(旗竿)石説

老松邦雄さんは「増山城最後の城主中川宗半(光重)と蕭」において
 「増山城の主郭通称二の丸には、中央を丸く抉った「神水鉢」と呼ばれる石が置かれている。最近の城郭研究家高岡徹氏の研究によると、肥前名護屋城周辺にこれによく似た石がいくつも残されており、現地では旗竿石と呼ばれているように、おそらく軍旗や馬印を立てるために使われた台石であろうとされている。前田氏の家屋陣屋跡にも二基残されており、増山城の神水鉢は名護屋での習わしを宗半が持ち込んだものと考えられている。宗半不在の増山城を守った蕭に対し、名護屋で流行した旗立ての行事を宗半が披露した、としたら推測が過ぎるであろうか」



唐津城 旗竿石 (インターネットから)

  佐伯哲也さんの塔心礎説は次回です。

     
本保澄雄


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