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2018年7月27日  16:00

小田原城のガイドさん/研修スケジュール(研修報告5)

スキルアップ研修に参加して

 今回の研修で、山城の立地場所 川や道路・峰等の地形を考慮しながら築城者の考え方や思いが巧みに城作りの基本になっていることが再認識できた。戦いによって城主が変わり、何回か改修・改築されたり拡大された跡が残っている現況を見ると、山城として集大成された形が現在に残っているのがわかる。特に畝堀や初めて見た障子堀を巧みに組み合わせた空堀、形と深さ、大きさを地形に合わせて考えて作られ土塁や土橋等を組み合わせている。

 小田原城ではガイドの育成に力を入れておられ、組織(形)やガイド(姿)さんに見習うことがあると思った。ガイドの養成期間は3年で、試験が(50点以上で合格)あり、育成期間(見習い)が2年を終えて独り立ちになるとのこと。会長さん始め役員の方々、各班のリーダーは熱意を持ってチームワークを大切にしながら、班別(各班に5・6名の休職者あり)に担当されていて現在93名の方が四班に分かれて活動されている。一日4〜5名が月平均5回程活動されている。会員は小田原市内を含め近郊の市町の方もおられました。天候も良く楽しく研修できたことを、これからの活動の中で生かしていきたいと思っている。

 終わりになりましたが、準備やお手配、お世話を頂いた方々に感謝・御礼を申し上げます。有難うございました。

2018(平成30)6月   長久 義樹




2018(平成30)年 第一回スキルアップ研修記録


5月21日(月)砺波7:23〜11:38昼食12:10〜19:08ホテル
○高天神城跡 静岡県掛川市 山城  13:00〜14:20
 中小の川を天然の堀として、尾根は三方が断崖絶壁で一方が尾根続きの天然の要害を利用して難攻不落の城といわれ、武田が守っていたが家康が近くに横須賀城と六つの砦を築き孤立無援にして落城。

○掛川城 静岡県掛川市 平山城  14:50〜15:05
 平成6年に木造で三重の天守と櫓を再建された天守閣を見学。全国で四ヶ所しか残っていない貴重な城郭御殿が二の丸にあり、公的式場の場・公邸・役所として三機能を備えている。


○諏訪原城跡 静岡県島田市 山城  15:27〜17:21
 遺構は良好に残り武田が築城、徳川が大規模な修築し大きな空堀や丸馬出が残り大井川や断崖絶壁を利用していいるのが特徴。

5月22日(火)ホテル8:05〜12:28昼食13:17〜19:00ホテル
○山中城跡 静岡県三島市 山城  8:40〜9:43
 北条流築城技術で本城小田原城を守る国境の要として、極めて深い急峻な地形を巧みに取り入れて畝堀、障子堀と呼ばれる空堀が多く、橋、門、土塁、棚、土橋も多く畝堀と障子堀の絶妙な配置が特徴、霊峰富士山や駿河湾を一望する絶景は見事。

○石垣山一夜城跡 神奈川県小田原市 山城  11:23〜12:26
 豊臣秀吉が小田原城包囲の為に1590(天正18)年に総石垣で野面積の城を築城。特に井戸曲輪の高石垣や算木積の石垣は現在も残っている。

○小田原城 神奈川県小田原市 平山城  10:30〜11:00(ガイドについて)
                    13:22〜15:50(城内見学)
                    16:00〜17:12(城跡見学)
 城門や天守閣等が復興され、年間100万人以上の来城者がある。
 ・天守閣 現在の閣は1960(昭和35)年に復興された五階建て常設展示室3・企画展示室4と展望デッキ。
 ・常盤木門 1971(昭和46)年に復元。
 ・銅門 1997(平成9)年に復元。本丸に通じる大手筋にある枡形門。
 ・馬出門 2009(平成21年)に復元。二の丸正面にあり、馬出門と内冠木門の二つの門を配置した構造になっている。
 ・小田原城跡 1417(応永24)年、戦功で大森氏が小田原周辺の領地を得、1498(明応7)年、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を築き二代氏綱が本城として拡大し、上杉、武田軍を撃退した難攻不落の聖城。現在も残る総構は豊臣秀吉の侵略に備えて大改修。全長9kmの土塁・空堀等で囲んでいて、三つの大きな空堀や土塁が広範囲に現在も残っている。


5月23日(水) ホテル7:58〜12:30昼食13:18〜20:57砺波
○浄福寺城跡 東京都八王子市 山城  8:27〜8:47
 山道を登り始めるが道が分からず途中で引き返す。返ってから調べてみると、豊臣秀吉
の侵略に備え急いで築かれた八王子城(北条氏)の支城。細い山道があるが未整備で難度
が高く移住性を考慮せず実践に徹した縄張りが特徴。。
○八王子城跡 東京都八王子市 山城 8:58〜12:00 
滝山城から拠点を移すために北条氏照により1582年頃に始まり、未完成であったが
1590年6月30日に前田利家、上杉景勝軍に攻められて落城。城郭は壮大で城下町の
根小屋地区城主 北条氏照の館等の居館地区。戦闘時に要宅となる要宅地区に分けられて
いる。曳橋から虎口、冠木門が再現されていて御主殿跡の建物の礎石や水路跡が整備され
ている。

○滝山城跡 東京都八王子市 平山城  13:26〜14:23
 縄張りの巧みさと遺構が残っていて二の丸防御に重点が置かれ、切岸、横堀、馬出し等
の堅固な防衛と山の神曲輪という民衆の避難所を備えていた城に、水や池は大切でありそ
れを利用して農民に耕作させて年貢を納めさせ、領主と農民(村人)は持ちつ持たれつの
関係があった。略奪、放火、拉致が当たり前の戦国時代に領主と農民の関係を深くして、
城は軍事的施設として高い防衛力を持つと共に農民の避難所として公的施設を兼ね、天然
の地形を生かして強固に守ることを考えた特長がある。

期 日 (平成30)2018:5:21〜23
研修先 静岡・神奈川・東京




諏訪原城 馬出しと二ノ丸の間の空堀


  • 城攻め