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2018年6月22日  17:00

高天神城(研修報告1)

ボランティアスキルアップ事業県外視察研修に参加して
高天(たかてん)神城(じんじょう)を視察した感想

 「難攻不落(なんこうふらく)の名城」と知られている高天神城は、たいへん興味がある山城です。しかし、富山県から静岡県掛川市は遠距離のため訪れる機会はないと考えていました。今回に研修参加の気持ちを揺り動かしたのは他ならぬ高天神城が日程にあったからです。

 東海北陸自動車道から東名高速道路を通って静岡県に入ったことがわかると、思っていたよりも遠くないような気がして、待ち構えていた坂も抵抗なく登ることができました。 これも野原さんのお陰と心から感謝しております。

 南口駐車場でボランティアグループの方と合流し、追手門側より説明を受けながら登り始めました。この城の視察の目的は、増山(ますやま)城(じょう)と高天神城を比較することと、自身のガイドとの比較です。ガイドについては、勉強不足からガイド経験がないため、今後の自身の案内に参考にすることにしました。

 最初に、高天神城の特徴は、鶴(かく)扇山(おうざん)(標高130m)の東西二つの峰を丘陵鞍部(あんぶ)の曲輪(くるわ)を境にして東西峰それぞれに曲輪群が展開する「一城別郭」の様相を示しながら、周囲は自然地形を巧(たく)みに活かした断崖絶壁や深い谷がある天然の要害になっています。実際に訪れてみて、複雑な城の形状と急峻な地形に「難攻不落の名城」といわれる所以(ゆえん)があるのだと思いました。

 増山城と高天神城を私なりに比較し以下の共通点があると考えました。標高が同じくらい。隣接する亀山城を合わせると一城別郭になり得る。地形を巧みに活かした天然の要害となっている。立地条件から要衝地であるため歴史上極めて重要な山城といえる。しかし、増山城を含め山城について知識不足のため、このようなことがいえるかどうか全く自信はありません。

 次にボランティアグループのガイドの案内については、もう少し情報が聞きたかったとも思いましたが、限られた時間でコースを組み立て、1カ所でも多く見どころを回り、訪れた人に楽しみを見出してもらうということを大切にされ、第一に時間を守り、第二に要所を案内することに重点をおかれたのだと考えます。たいへん参考になりました。この経験を生かして勉強を積み、説明を受ける側が楽しめるような案内ができるようにしたいと思います。このように2つの城を比べることによってそれぞれの城を分析し理解を深めるとともにボランティア活動家より充実するのだと考えます。



 見学して印象に残ったところを5ヶ所取り上げます。1ヶ所は、本丸に続く城内道跡遺構で、かつては家康や勝頼(かつより)が歩いた可能性を秘めた貴重な古道です。その道を踏みしめ、東峰の山上に登ると本丸跡や城の守護のために創建されたという元天神社がありました。

 2ヶ所目は、広い本丸跡で、今は想像もつかない攻防戦が繰り広げられていたというから驚きます。元亀2(1571)年、今から447年前に武田信玄率いる総勢2万もの兵が押し寄せたが、この時の城主は堅い守りで信玄さえも近付くことができなかった。武田信玄はその後の天正元(1573)年に没し、信玄の子、勝頼が父信玄の落とせなかった無念をはらすべき天正2(1574)年に2万の兵で攻め落としたという。

 3カ所目は、軍(ぐん)監(かん)大河内(おおこうち)政局(まさもと)がされたという場所に行き、山腹の横穴を牢屋にしたものを見ました。地元では、昔から子どもが悪さをするとここに入れられると言われているそうですが、子どもたちにとって、ここはどんなにか怖くて近寄り難い所になっているのではないかと思います。試掘調査により現石窟(せっくつ)下層に本来の石窟遺構が確認されたということで、天正2(1574)年の開城時に最後まで武田勝頼に降伏しなかった大河内政局が7年間に渡って幽閉されたのは事実であったと裏付けされました。

 4カ所目は、二の丸から堂の尾曲輪の間の巨大な堀切(ほりきり)です。敵は右往左往して立ち止まっていたであろうと思います。

 5カ所目は、この高天神城の中で特に見晴らしの良い馬場平です。そこは、遠州灘を一望でき、この城が重要な位置にあることを実感できました。

 今回訪れて、この日は季節を感じさせるコアジサイや青梅も見られました。県立自然公園にも指定されていることもあって、美しい植物や豊かな自然に包まれる中、かつての激しい攻防があった山城の遺構を随所に見せながら、歴史を学ぶことができました。たいへん有意義なひとときとなり、参加させていただき感謝いたします。
                      

寺崎

 


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