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ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/
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2012年01月11日 15:33

ブログに載せた『獅子ガチャラ』にお問い合わせをいただきました。
ブログを見ていただき、恐縮です。
そしてありがとうございます。
『獅子ガチャラ』は、いなみ木彫りの里・創遊館(井波の道の駅)で入手しました。
館内中央奥にある受付カウンターの右手に設置されていますが、傍らにあった観葉植物の陰で少しわかり辛いかも知れません。料金はワンコインの5百円。
ただし、5百円玉しか受け付けてくれませんので、ご注意ください。


そういえば、ガチャガチャの中にはこんな紙も入っていました。
総合会館の入館割引券です。しかもこの券1枚で2名まで有効だそうです。
紙一枚で次回のきっかけ作りをしている所もエラいと思われませんか?
私は1回だけの大きなサービスよりも、小さなサービスをずっとやってくれる方が嬉しい気がします。それは両方が無理なく気楽にできると思うからです。


  • 思ったこと

2012年01月10日 11:41



■左義長・砺波市太田

小正月の代表的な行事に左義長があります。
砺波でも昔から「ものごと」の一つに数えられ、1月中旬までにそれぞれの地域で行われています。最近の傾向は地区で異なり、14日固定ではなく成人の日をいれた3連休のあいだに行われるところもあるようです。
(昨日のニュースでは小杉が紹介されていたよ♪)
形式は、青竹を円錐形に組み藁や豆がらをめぐらせ高く立ち上げ、当日は子ども達がお正月に書いた書き初めを燃やしたり、昨年から正月までに使った縁起物や餅などを一緒に焼きます。燃え上がった炎や煙には、年神様が天まで乗って帰ると信じられ、炎の大きさや青竹の割れる音で一年の始まりを味わいます。
『砺波地域の民俗―伝統文化の実状―』によると太田地区の場合、昔は子ども達がオヤカタ(14歳)を中心に竹を集めてまわり、地区内4箇所に分けて行っていたが、現在は全域で1箇所のみ。場所は太田消防屯所の隣り。市内でも規模が大きく、また左義長の歌も残されています。(尾田武雄氏写真提供)


  • 無形民俗文化財

2012年01月05日 14:08

■巡見使道・砺波市内

江戸幕府は各藩の政情および民情視察のため、ときどき特使を地方に巡見させたが、特に将軍の代替わりごとに目付役を出して監察させた。これを巡見上使、または廻国上使といった。
巡見上使は、使番(つかいばん)一人、小姓組番・書院番のもの二人、そのほか一行をもって組織し、おのおの専門にわかれて視察した。上使が藩につかわされることがきまると、藩に通達して、上使の接待・贈り物などについて厳しく制限し、あるいは禁止事項を示して、迷惑にならぬよう命じた。しかし藩では、巡見上使の報告が藩の将来に大きく影響するので、非常に心を労した。
加賀藩では上使の来意をうけると、早速算用場のうちに特別の係りを設け、藩の役人は勿論、十村役などまでを加えて接待の準備をさせ、上使の通る町や村の肝煎には上使が質問しそうな問題を書き上げた模範解答をつくって通知している。それは丁寧なものでボロを出さぬよう細心に注意している。その中には富山にあった磯辺の御庭(今の護国神社のあたり)の大きな築山を、神通川の水害除けであると答えよというのがある。
巡見上使の通る道はきまっていた。これを巡見使道という。越中の国へは、能登の羽咋から国境の臼が峰を越えて床鍋(氷見市)に入り、射水郡(氷見郡を含む)の西部を経て砺波郡を通り、再び射水郡に入り、婦負郡・新川郡を巡視して越後国へ向った。

(富山文庫10『富山の史蹟』より)


『小矢部市史』によると、主なルートは次の通り。
射水郡(床鍋 ― 小久米 ― 論田― 中村 ― 氷見― 窪 ― 海老坂 ― 守山)
砺波郡(岩坪― 佐賀野 ― 三日市 ― 田川 ― 今石動「官道」 岡 ― 戸出 ― 千代 ― 杉本新 ― 苗加 ― 福野 ― 在房 ― 宗守 ― 是安 ― 城端 ― 北野 ― 井口 ― 井波 ― 小牧 ― 金屋 ― 庄金剛寺 ― 芹谷 ― 増山)
射水郡(水戸田 ― 黒河 ― )
婦負郡(花木 ― 住吉)
新川郡(新庄 ― 野開 ― 常願寺川 ― 日置 ― 岩峅寺 ― 新庄間往復)
新庄から官道(北陸道)と越後に出ました。

『三州地理志稿』によると、井波→小牧→金屋岩黒→庄金剛寺→三谷→安川薬勝寺前→三合新村→芹谷野→福岡権照寺→宮森→増山→東保新から中田へ続くとあります。

巡見使道には、「隻堠(せきこう)」ともいわれる一里塚をつくったり、場所によっては松並木が道の両側につづき、のどかな風景があったそうです。
現在、三谷・薬勝寺前・三合などにこの旧道跡が遺存しています。
写真は三合(左:巡見使道 右:国道359号線)


※巡見使道は、時には巡検使道とも表わされ、『ふるさと文化財マップ』および標柱は巡検使道と表記されております。
ここでは『砺波市史』にならって巡見使道とします。


  • 史跡

2012年01月04日 14:56

今年もよろしくお願いいたします。さて、
昨年暮に収録された『ふるさと文化財』が年明けからケーブルTVで放送中です。
収録当日、砺波は雪が降り始め(まるで今日のように)、空の様子をうかがいながらの撮影でしたが、何より準備不足だったのでずいぶん緊張した仕上がりになりました。
放送では、登録されている54件の一覧を文字で表示する方法をとればもっと伝わったかなとか、文章のコトバではなく、声に出すコトバで話すことが大事だとあらためて感じました。

地域の財産として親しまれ、大切にされている文化的財産
『ふるさと文化財』は→コチラです。


  • 思ったこと

2011年12月28日 17:27

久しぶりのお日さま^−^
砺波市内は週末から降り続く雪で、国道や県道からわき道に入るといつもより道幅が狭くなっています。車の運転は対向車と譲り合いながら気持ちよくすれ違いたいものですね。私も気をつけたいと思います。

さて、1月26日に『ふるさと文化財』が登録され、4月から担当になり、たくさんの出会いと協力に助けられ、あっという間に年末を迎えました。思い返せばあんなことこんなことといろいろありましたが、茶道でいうなら入門・小習いだったかな〜というのが感想です。来年は少し上達し、お手前が出来るといいのですが…。

そんなわけで、今年最後!今日の出会いはコレです。




ご存知ですか?
『獅子ガチャラ』というワンコインのがちゃがちゃです。
井波彫刻協同組合さんが井波彫刻を知ってもらおうと作ったもので、獅子や龍、地蔵さんなど何パターンかあります。以前から話には聞いていましたが、とうとう今日ゲットしちゃいました。
「がちゃがちゃがちゃ。」
「出た出た、、、何かな、、、お獅子だ!!」
「やった〜!!!!!」

皆さん、良いお年を。


  • 思ったこと

2011年12月27日 18:19



笑う門には福来る!!!


■荒高屋恵比須社・砺波市荒高屋

国道156号線、荒高屋交差点を西にしばらく行くと恵比須社があります。
明治24年、荒高屋下村の地主によって建立されたものです。
恵比須は商売繁盛、大黒天は五穀豊穣の神様として知られていますが、砺波市内では珍しく、石で彫られた恵比須・大黒天が祀られています。
地元では現在まで祭りが継承され、大事にされてきました。
祭りは、「田祭り」といい、下村で世話をし、毎年6月5日に行われています。

恵比須 高さ55cm 幅40cm 泥岩 彩色
大黒 高さ61cm 幅37cm 凝灰岩 彩色




ここも一年に一度だけ御開帳。
今も悔やまれますが、今年、気付くのが遅くて田祭りは見ていません。でも、ラッキーなことに、おとなり東野尻地区の苗加に恵比須社があり、そちらの「恵比須祭り」は見れました。

う〜ん、それにしても見れば見るほどリアルな笑顔!
写真を何回見ても、つられてニンマリするのは私だけでしょうか?



登録証が額装され、掲げてありました。




  • 彫刻

2011年12月21日 17:42




■十村安藤家の多門・砺波市木下

安藤家は砺波郡宮丸村にあって、初代次郎左衛門の寛永12年(1635)から10代次郎四郎の明治4年(1871)まで236年間にわたって加賀藩の御扶持人十村役を勤め、砺波郡の民政に貢献した名家である。屋敷は約4ヘクタールで濠をめぐらせ、正面にこの多門があった。時代の変化に伴い、明治23年(1890)に金沢へ移住。残された建物の一部は同村の西方寺の庫裡として移され、また権勢の象徴でもあった多門は、隣村小杉村の雄川家へ引き取られた。さらに昭和47年、その雄川家も東京へ移住されたため、多門も家屋とともに取り壊されることになったところ、現在の所有者でもある薮田氏によって現地に移築された。その際、後々の保存面を考慮して茅葺きから瓦屋根に改められた。

建物は、幅7間半(のびがあるので詳しくは47尺5寸)、奥行2間(12尺)、左手2間(13尺)と右手3間半(21尺5寸)は納屋形式となっており、壁は白壁、腰は横羽目板で覆ってある。ヌキには元文3年(1738)に藩の役人家来17人を周辺の村役人宅へ分宿させた覚えが墨書きされていた。恐らく17世紀末の建築とみられ、由来のはっきりした民家の多門としては、県内でも最古のものといわれる。
(『十村安藤家と多門』より)


国道156号線、油田交差点を西へしばらく行くと、木下公民館、新明社の近くに十村安藤家の多門があります。会社事務所の隣にあるその門は、時代劇に登場する奉行所の門のように堂々とした構えです。私はこの門の存在を知ることで十村、多門というコトバを知りました。^−^

十村(とむら)…加賀藩から出された農政制度。数十か村を統括する農民身分の最高職。武士の特権である苗字帯刀を許されることもあった。加賀藩や富山藩の農政実務全般を担当し、毎年の年貢微収や洪水その他災害への対処、新田開発の促進に主導的役割を果たした。また、地域農村の事情に明るい名望家であり、犯罪の取り締まりや藩と組下農民との関係調査など、地域社会の保全にも貢献した。

多門(たもん)…長屋門の一種で、両側に納屋があり、それをつないだ屋根の下に梁を冠木で受けて門とした構造。納屋は番所や農具置き場として利用された。



「砺波地方の農家の住居は、十村の家がモデルになっていて、家の周りに庭や塀をめぐらせ門を付けるのがステータスだった、そしてこれを目指して当時の人は頑張った。」と以前聞いた話を思い出しました。
今や家を建てるとき、多門もセットで造らなきゃ!と考える人はいないと思うけど、最近の砺波地方の住居モデルはいったい何なのかな?と疑問に感じました。


  • 建造物

2011年12月14日 14:30

昨日、小矢部市にある山城の踏査に同行させてもらった。
行った先は、今石動城、源氏ヶ峰城、倶利伽羅城、道坪野城。
移動中も旧北陸道、埴生八幡、安養寺御坊と史跡を見学。
先日から悪天候続きで心配したが、ほとんど降られずにすんでよかった。
どの城もウォーキングなどにちょうど良さそう。
でも、なんだか整備が止まっている感じが目に付いた。
曲輪、堀切、土塁など確認しつつ、縄張りがもっと理解できたらと課題も残った。
本命の一乗寺城に途中までは向かっていたが、思いもよらぬハプニングで断念。
また3月あたりに出直したい。


今石動城。本丸直下の切岸。
凄くいいのに整備されておらず、もったいない。


城下の風景〜視界良好。


源氏が平家を追いつめた場所、地獄谷。


道坪野城。竹の繁殖と熊笹に行く手を阻まれ、歩くのに厄介。



  • 思ったこと

2011年12月12日 11:27




週末、チューリップ公園周辺を散歩。
四季彩館ではクリスマスソングが流れ、のんびりとコーヒーとソフトクリーム。冬支度が終わった公園内を歩いていると、同じように散歩を楽しむ人をみかけました。郷土資料館から中嶋家の前を通り、リニューアルした茅葺屋根を眺めてうっとり。美術館の展望スペースから立山連峰を眺め、またうっとり。
郷土資料館と美術館は、それぞれ企画展が開催中。

スローな時間は今では贅沢なことなのかも…。




  • 見たこと

2011年12月09日 11:27

■庄川大仏・砺波市庄川金屋

庄川町金屋の光照寺境内に大仏が安置されています。
別名「金屋大仏」「十万納骨大仏」ともいわれるコンクリートでできた大仏です。
昭和5年に着工され、昭和8年に竣工。
高さ11メートル、胴幅5メートルで、県内の三大大仏にも選ばれています。
供養と慰霊を目的に、大仏の体内には10万人分の遺骨が塗りこまれたのだそうです。製作者は射水(旧小杉町)の鏝絵の名工、竹内源造。


近くには、同じ『ふるさと文化財』に登録されている、木村産業且末ア所や山田文作像が見られます。もうすこし足をのばすと、庄川水記念公園、庄川美術館、水資料館や庄川温泉郷もあります。

今日は冷えて、山もとうとう白化粧しました。




  • 彫刻