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ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/
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2012年02月21日 18:17



先日行われたよごしグランプリ。
反響も大きく、盛況に終われたことが何よりです。
そんな今日は結果発表の日でした。
一番人気は、、、しその実のよごし♪
2日間よく出てましたから、ランキングはきっと上位だろうと思っていました。
大葉も入れて香りもよく、納得の結果ではないでしょうか。
他には大根、なす、菜の花、白菜(カレー風)もよく出ましたが、ベスト5には入りませんでした。
今のところ県西部のみで通じる『よごし』ではありますが、今後の拡大が楽しみです。

2位 いもじ(里芋の葉)←上の写真
3位 人参
4位 ほうれん草
5位 大根葉←砺波では認知度ナンバーワン

(投票数325票)


  • 思ったこと

2012年02月17日 13:51

明日、あさって、
チューリップ四季彩館で『よごし』にスポットを当てたイベントがあります。

今回主役のよごしは、となみの農産物グループ協議会の皆さんが作って下さいます。
ですが、葉物が少ないこの時期によごしを作るのは実は至難のわざ。
それでもよごしが家庭で食べる機会になればと、用意されるのはなんと18種類!!!

寒い中、雪がある畑へ材料を探しに行かれたり、スーパーで手に入れやすい食材で無駄なく使えるように、味付けはいろいろと好みがあるけど、子ども達も食べやすいようにと、意見を出し合い、分担し、当日に向けてご準備いただいております。

本当にありがとうございます。

昔から家庭では、おばあちゃんやお母さんがこうやってたんでしょうね。
見習いたいですね。

イベントの内容については観光協会さんのブログにも紹介されていました。


  • お知らせ

2012年02月08日 17:16

日時:2月25日(土) 午後2時〜
場所:となみ散居村ミュージアム交流館
参加者:10名(20〜30代の女性)
費用:無料
準備するもの:エプロン・三角巾、筆記用具など
講師:鹿島朝子さん、丹羽光代さん
    (となみ農産物生産グループ協議会)
内容:簡単でヘルシーな美味しい郷土料理!
    
    《当日のメニュー》は、

    ★大根のよごし
    ★いもじのよごし
    ★干しなすの炒め煮
    ★切干大根のはりはり漬け 

     です。興味のある方、連絡してね。

申込お問い合わせ
砺波市埋蔵文化財センターまで TEL(0763)32-6815


  • お知らせ

2012年02月03日 11:50



今日もパウダースノーに覆われた砺波です。
“つらら”も伸びて外は冷え込んでいたんですね。
連日の大雪に対する各注意報は何処へやら…、現在は陽がさしてきました。
空の水色、山の藍色、田んぼの白は清清しく、この景色こそ砺波の冬のbPといっても過言ではないでしょう。
道路はいまだアイスバーン。
こんな日は乾燥もしているので、風邪でもひいたらせっかくの豆まきが出来なくなります。外出時にはご用心下さい。




  • 思ったこと

2012年02月02日 16:47



■太田橋・砺波市太田・安川

国道359号線の一部として、砺波平野と庄川右岸の集落を結ぶ基幹橋となっている太田橋は、飛騨から富山湾に注ぐ庄川の中流域に架けられた長大橋です。

太田橋はもともと明治33年(1900)に私設で架けられ、庄川橋と呼ばれたのがはじまりでした。川の洪水や爆風雨濫で橋の流失は幾度も続いた歴史がありますが、現在架かる太田橋は昭和9年7月の集中豪雨で木造太田橋が流され、翌10年9月から県直営で工事がスタートし、昭和13年(1938)6月に完成された橋です。
長さ443メートル、幅5.5メートルの橋は、戦前の鉄筋コンクリート連続桁橋としては最長の長さを誇ります。高欄の連続する尖頭アーチのデザインが独特で日本の近代土木遺産2800選にも選ばれています。


『太田村史』には当時の貴重な写真が掲載されていました。
右上 明治33年 庄川橋 架橋
右下 明治44年 庄川橋 架橋
左上 昭和 9年 太田橋 流失(大正12年架橋)
左下 昭和13年 太田橋 架橋


  • 建造物

2012年01月26日 16:39

お疲れ様です。
皆さんは雪かきでもう筋肉痛でしょうか?
わたしは明日からでも痛み出すのでしょうか?
スノーダンプで何往復もしたのに…あぁにぶい。

昨日の『いもがいもち』の続報です。
里芋を入れた理由は、収穫を祝い、お彼岸におはぎを食べる習慣と重なったことから喜びと感謝の気持ちで出来たものだったことがわかりました。
これからは今まで以上に気持ちを込めていただきたいと思います。



  • 食べたもの

2012年01月25日 17:08

砺波は朝から雪。これから週末にかけては本格的に降り続くらしい。
午前中、すでにもりもりハウスあたりは結構な積雪量があり、庄川方面へ行っても「あるね〜。」となった。帰り道の五鹿屋あたりの田んぼで横転した車を発見し、信号で止まっていると道縁の家の屋根雪が落ちてきてドキっとさせられた。
雪道の運転は要注意だけど、ようやく雪国らしい風景になった。

今日は砺波の郷土料理『いもがいもち』をいただきました。里芋入りのおはぎです。
秋に里芋が収穫され、お彼岸以降冬の間も食べる郷土料理なのです。
いつごろから里芋を入れたのかはわかりません。
ちなみに里芋の成分には高血圧防止、動脈硬化防止、老化・ボケ防止などの効能があるそうですが、昔の人はそのこと知っていたから入れたのでしょうか?それとも、米が高価で手に入らず、仕方なく里芋を混ぜてそれらしくして食べていたのでしょうか?単におはぎにおまけをつけただけ?



牡丹の咲く季節、春のお彼岸に食べるのは「牡丹餅=ぼたもち」、秋のお彼岸は萩の時期なので「御萩=おはぎ」と呼ばれるのも季節感があって素敵。
でも、砺波はこれからもずっと「かいもち」でお願いしますネ。
昔の人の知恵と工夫は、本当に学ぶことが多いです^−^


  • 食べたもの

2012年01月23日 15:17



■親王塚・砺波市安川

安川に臨済宗国泰寺派の般若山薬勝寺があります。
山門を潜り右手奥、寺の南墓地には親王塚といわれる塚があります。
(寺の敷地内でもあるので見学する際は、一言断ってから行きましょう。)


この道を上ると柵で囲われた中央に宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
宝篋印塔は、中国の呉越王、銭 弘俶(せん こうしゅく)がインドの阿育王(あしょかおう)の仏舎利塔建設にならい、8万4千の金属塔を造り宝篋印心呪経(ほうきょういんしんじゅきょう)を納めて配ったのが原型とされています。日本には平安時代中期に渡来し、鎌倉時代になって定型化しましたが、塔形の名になり、他のものを納めても宝篋印塔というようになりました。しかし、近年になって、石造宝篋印塔そのものが宋代の中国に存在したことが明らかになり、中国宝篋印塔が日本の宝篋印塔の祖形と考えられているそうです。
寺伝によると、後花園院の皇子淳良(あつなが)親王の墓とされるとなっています。他にも、先日の公卿塚でもふれましたが、般若野荘の領主であった徳大寺家実道が、現地で自家の支配地確認のため1545年越中般若野荘へ下向した際に当地の武家・荘民の違乱にあい殺害された実道の墓として伝わっています。
寺では、その忌日5月13日(現在は6月13日)には古くから大般若会が修され、霊を慰め、般若郷内の豊穣を祈るための行事とされているそうです。(写真は昨年の様子)
石の状態は角が落ちて丸みを帯び、かなりの年月が経っていますね〜。
造立は南北朝時代と考察されています。組まれた石の各部には名称があり、下から二つの塔身、笠、相輪があり、全高123cmあります。



一口に墓といってもいろんな種類があることに気づかされます。
古墳、宝篋印塔、五輪塔、板碑と時代によって変化がみられ、又、その背景には仏教の影響も大きいことがわかります。今日私たちが目にする墓石が造られたのは江戸時代からだそうです。まぁ、かたちはどうであれ供養する気持ちが大事でしょうね。


  • 史跡

2012年01月20日 11:49

砺波平野の東部に広がる中世の荘園。奈良東大寺領井山・伊加流伎・石粟の3荘が衰退したあとに成立したと考えられています。推定される領域は、東部が庄川町三谷から北は高岡市中田まで、西部が砺波市太田から北は高岡市春日吉江に及びます。現在はその中央を庄川が貫流しますが、これは近世初頭に東遷したためで、中世は地続きだったそうです。
領主は当初から京都の公卿徳大寺家。徳大寺家は、在地守護勢力の介入を受けながらも、中世末まで約4世紀に渡って変わりませんでした。しかし、下地中分は次第に進み、南北朝合一直後の明徳4年(1393)の文書に「領家方」とあります。
その後、領主徳大寺家の当主は幾度か現地へ下向しましたが、天文14年(1545)下向の折、現地住民に殺害されました。昨日の公卿塚がそうですね。


私が通っていた学校の校歌の歌い始めは、「い〜か〜る〜ぎ〜の〜、………♪」でした。当時「いかるぎ」って何だろう?と思って歌っていたことを思い出します。

昨年刊行され話題になっている『となみ山城マップ』にも般若野荘が掲載されています。


  • 歴史

2012年01月19日 17:45



■公卿塚(九人塚)・砺波市安川

安川の薬勝寺から南(三谷・庄川方面)へ300メートル行ったところ、右手にこの公卿塚があります。柵みたいなものはないけど墳丘になっているのですぐにわかります。
般若野荘の領主であった徳大寺家実道が、現地で自家の支配地確認のため、1545年越中般若野荘へ下向した際に当地の武家・荘民の違乱にあい殺害された実道の従者の墓として伝えられています。

中央の宝篋印塔は昭和44年秋に建立されたもの。そしてその周辺に五輪塔が多数あります。
五輪塔の存在は、多くは領主層の手によって建てられたと考えられていて、供養や墓石を目的として作られたものだそうです。

資料には塚の上に五輪塔の空風7個、火輪2個、水輪10個、地輪6個があるとなっていて、確かに確認できました。
また、水輪1個は石垣の中にあり、水輪の中には直径30cmばかりのものや、力強い薬研彫りの梵字バン(金剛界大日)の刻まれたものがあるとされていますが、刻まれたバンの文字が石の風化で確認できないのと、資料をあとで見つけたので石垣の確認はできていません。(今度ゆっくり探してみようっと。)
造立時期はおおむね南北朝期から室町期と推定されるそうなので450年は経っていることになりますね。
中世のものは市内では少ないので貴重です。


  • 史跡