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2012年01月23日  15:17

親王塚(しんのうつか)



■親王塚・砺波市安川

安川に臨済宗国泰寺派の般若山薬勝寺があります。
山門を潜り右手奥、寺の南墓地には親王塚といわれる塚があります。
(寺の敷地内でもあるので見学する際は、一言断ってから行きましょう。)


この道を上ると柵で囲われた中央に宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
宝篋印塔は、中国の呉越王、銭 弘俶(せん こうしゅく)がインドの阿育王(あしょかおう)の仏舎利塔建設にならい、8万4千の金属塔を造り宝篋印心呪経(ほうきょういんしんじゅきょう)を納めて配ったのが原型とされています。日本には平安時代中期に渡来し、鎌倉時代になって定型化しましたが、塔形の名になり、他のものを納めても宝篋印塔というようになりました。しかし、近年になって、石造宝篋印塔そのものが宋代の中国に存在したことが明らかになり、中国宝篋印塔が日本の宝篋印塔の祖形と考えられているそうです。
寺伝によると、後花園院の皇子淳良(あつなが)親王の墓とされるとなっています。他にも、先日の公卿塚でもふれましたが、般若野荘の領主であった徳大寺家実道が、現地で自家の支配地確認のため1545年越中般若野荘へ下向した際に当地の武家・荘民の違乱にあい殺害された実道の墓として伝わっています。
寺では、その忌日5月13日(現在は6月13日)には古くから大般若会が修され、霊を慰め、般若郷内の豊穣を祈るための行事とされているそうです。(写真は昨年の様子)
石の状態は角が落ちて丸みを帯び、かなりの年月が経っていますね〜。
造立は南北朝時代と考察されています。組まれた石の各部には名称があり、下から二つの塔身、笠、相輪があり、全高123cmあります。



一口に墓といってもいろんな種類があることに気づかされます。
古墳、宝篋印塔、五輪塔、板碑と時代によって変化がみられ、又、その背景には仏教の影響も大きいことがわかります。今日私たちが目にする墓石が造られたのは江戸時代からだそうです。まぁ、かたちはどうであれ供養する気持ちが大事でしょうね。


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