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2012年01月20日  11:49

般若野荘

砺波平野の東部に広がる中世の荘園。奈良東大寺領井山・伊加流伎・石粟の3荘が衰退したあとに成立したと考えられています。推定される領域は、東部が庄川町三谷から北は高岡市中田まで、西部が砺波市太田から北は高岡市春日吉江に及びます。現在はその中央を庄川が貫流しますが、これは近世初頭に東遷したためで、中世は地続きだったそうです。
領主は当初から京都の公卿徳大寺家。徳大寺家は、在地守護勢力の介入を受けながらも、中世末まで約4世紀に渡って変わりませんでした。しかし、下地中分は次第に進み、南北朝合一直後の明徳4年(1393)の文書に「領家方」とあります。
その後、領主徳大寺家の当主は幾度か現地へ下向しましたが、天文14年(1545)下向の折、現地住民に殺害されました。昨日の公卿塚がそうですね。


私が通っていた学校の校歌の歌い始めは、「い〜か〜る〜ぎ〜の〜、………♪」でした。当時「いかるぎ」って何だろう?と思って歌っていたことを思い出します。

昨年刊行され話題になっている『となみ山城マップ』にも般若野荘が掲載されています。


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