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2011年08月26日  17:25

小倉の土居



■小倉(おぐら)の土居・砺波市鷹栖

今日も朝から雨が降っていましたが、今は晴れ間がのぞいています。このところ急に涼しくなって体調を崩されている方をお見かけします。季節の変わり目は十分気をつけたいですね。
そんな私も先日小雨が降る中、確認作業のため小倉の土居にいましたが、帰ると体が冷たくなっていて夜にはちょっと熱っぽくなりました。

先に紹介した大矢四郎兵衛銅像から、県道371号線(本町・高木出線)を越えてしばらく行った、左手にお墓が立ち並んでいる場所が見えてくる。ここは「小倉の土居」と言って、鷹栖地区内の小倉殿(おぐらどの)館にいた土豪小倉六右衛門の子孫、小倉孫左衛門が居住した屋敷跡である。

これは単濠単廓式の舘で、水濠あとと推定されるところは見当たらないが、2〜3反程度の土居内の地積であるから、複廓式の二重土居でかこまれた舘とは考えられず、作人的小名主級の居館であって、屋敷内にはおそらく少数の名子・下人がいたであろうし、いわゆる作人小屋は廓外にあったものと思われる。
また、小倉の土居には金鶏伝説がつたえられている。「信長と戦って敗れた真宗の寺院のあとから一箇の金の茶釜が発見された。村人は大切にこの屋敷の一隅に埋めておいた。毎年正月元日の朝、金の鶏が此の小倉の土居の屋敷で夜明けの時をつげるという。」(『砺波市史』より)

資料を探しているときに、先の小倉殿(おぐらどの)館は、通称庄官屋敷ともいうが、土豪小倉六右衛門が戦国時代の明応年間に上杉家より土地を賜ったとつたわっている。とか、鷹栖なる地名の起源については、村内の長百姓居屋敷(小倉館・庄官屋敷)跡に鷹ノ巣多く、この地永年鷹の保護地であったから(鷹は農作に害ある鳥を捕り喰う)というのがあり、こっちも興味がわいてしまい、ふんふん!と思っているうちにまた脱線してしまった。
歴史は奥が深〜い。


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