砺波に広がる美しい文化 散居村

生活との関わり

散居村の農業


散居村の水田

 砺波平野では、豊富な水量を誇る庄川のおかげで、平野全体で水田耕作が行われています。どこでも必要な水がひけるだけの用水路網が整備されているからです。
 砺波平野の農家一戸が耕作する農地の平均規模は約1ha(ヘクタール)ですが、かつては家族みんなで協力し合って、この広さの水田で米作りを行なってきました。
 その際もっとも重要なことは水の管理でした。朝夕に田んぼを見回り、天候や稲の成長を考えて水を調節すると質の良い米がたくさん収穫できます。肥料をまいたり、刈り取った稲を雨が降る前にすばやく取り込んだりするのにも、家の周りに田んぼがあるのは効率的でした。散居村は常に田んぼを観察し、きめ細かく世話ができるように工夫した先人の知恵だったのです。
 かつての米作りではニシンやイワシ・油粕など、お金をだして購入した肥料も使われましたが、雑草やワラを腐らせた堆肥、人や牛馬の糞、ワラ灰や木炭など、自給できる肥料が多く使われました。米や野菜などの作物は、手元にあるものを最大限に利用することによって作られてきたのです。

住まい

 散居村の農家の広い屋敷の中には、母屋(おもや)を中心として納屋や土蔵(どぞう)、灰小屋(はいごや)などがあります。母屋は東を向いて建てられ、前庭はひろく、かつては農作業の作業場として利用されました。季節風の強い西側と南側にはスギを中心とした屋敷林を植え、屋敷の周りにはスギの垣をめぐらせています。
 母屋の建物は、かつては茅葺(かやぶき)屋根のクズヤと呼ばれる家でしたが、明治中期以降は徐々に瓦葺になりました。切妻妻入り(きりづまつまいり)のアズマダチや平入り(ひらいり)のマエナガレなどの形式があります。
 家の間取りは、広間を中心として座敷・茶の間・寝室・台所などを配置した広間型です。中でも中心となる広間は、冬の積雪に耐えうるように太い柱と梁(はり)で頑丈に作られました。これをワクノウチヅクリと呼びます。座敷には大きな仏壇が置かれています。冠婚葬祭や仏事などの際には、座敷と広間の間の戸をはずしてあけ広げ、多くの人が集まれるようにしました。


平入りマエナガレの家屋