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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2018年01月06日 14:57

あけましておめでとうございます

いつもブログを見ていただきありがとうございます。感謝の気持ちを込め皆さんに年賀状を送りたかったのですがそういうわけにもいきません。ブログを借りて年賀状とします。


私の年賀状です

 年賀状の説明。 (高岡市のPR)
今年は大伴家持(万葉集編纂者)生誕1300年になります。家持は29歳の時から5年間越中国司として現在の高岡市伏木に赴任していました。この間多くの歌を詠みました。万葉集全歌数4516首の内、家持の歌は223首を占め、万葉歌人中第1位です。
家持の越中時代5年間の歌数は223首、越中時代以前の14年間は158首、以後の8年間は92首です。

 また、万葉集4516首のうち越中万葉と言われる歌が337首あり万葉故地と言われています。

 高岡市では毎年10月初旬、3昼夜にわたり万葉集全20巻4516首を地元をはじめ全国から集まった2000人を超える多くの人によって朗唱されます。(「万葉集全20巻朗唱の会」)誰でも自由に参加できます。
皆さんも是非参加してください。グループ参加でもOKです。

年賀状の歌は万葉集4516番(万葉集最後)の歌です。
歌の意味:新しい年の始め、初春の今日降る雪のように良いことがたくさん積もれ。
・「年のめ」と「年のめ」
  「年のめ」=仕事始めなど 動作を伴う場合に使用
  「年のめ」=1年の初めなど 期間を表す場合に使用  
  家持は「め」を使っています。「多分仕事はじめの気持ちで詠んだのでしょう」という話。
本保澄雄


  • 未分類

2018年01月05日 10:48

 あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろとお世話になり有難うございました。本年もよろしくお願い致します。

 
今年は良い年になりそう。
増山城跡は昨年4月「続・日本100名城」に選定されました。おかげで今年は登城者の一層の増加が期待できそうです。
私たちガイドの「忙しくて大変」という悲鳴を是非聞きたいと思っています。

昨年6月からブログに投稿しはじめ合計27回の投稿をしました。最初は全く分からず、ログインの仕方からパスワードまで教えていただきました。
写真の入れ方も教えていただきました。有難うございました。正直に言っていまだに思った通りの投稿ができていません。その都度かなりの苦労をしています。ボケ防止に役立っています。
 今年もできるだけ投稿したいと思っています。よろしくお願い致します。



1月3日 冠木門
 
昨年も同日登城しました。その時は冠木門に門松があったような記憶があります。(間違いかもしれません)。今年は無かったのでパソコンで勝手に入れてみました。本物ではありません。(念のため)

     
本保澄雄


  • 未分類

2017年12月29日 08:13

今年もあと数日で終わり。2017年の「増山城跡」および「曲輪の会」の5大ニュースとして独断と偏見でまとめてみた。

1.「続・日本100名城」に選定される。
  4月6日 日本城郭協会は「続・日本100名城」を発表。県内からは増山城跡と富山城が選定された。
  ブログなし。4月7日 北日本新聞 他

2.増山城跡 19年度から整備 砺波市教育委員会   6月11日 掲載

3.7月22日初開催「陣屋でカフェ」に参加
   曲輪の会は「又兵衛清水の湧水でいれたコーヒーを飲んで森林浴するカフェハイク」に協力
    ブログ なし
 
4.戦国祭りに参加・協力
  増山城を訪れた人は戦国ロマンに思いをはせ、多彩なイベントを楽しんだ。曲輪の会は「城攻めウオーク」に協力。   9月24日 他 掲載

5.ふるさと「となみ」探訪事業で小学生をガイド
  延べ 8校、児童数424名 ガイド者30名  6月7日 他 掲載 

番外編  ・加賀藩試(私)鋳銭    4.12掲載
      ・増山城 草刈に参加    5.30掲載
      ・文化財センター第3回オープンデーに協力    7.23掲載
      ・台風一過 増山城跡は?  10.24掲載
      ・じっくり古文書   11.7掲載
      ・岩村城攻め     掲載なし

    
本保澄雄


  • イベント

2017年12月15日 20:00

一昨夜から断続的に降り続いた雪も今日はやみ、久しぶりの青空。明日からはまた雪の予報。
雪の増山城跡散策は今日しかないと早速登城。


              増山陣屋は閉館中


              冠木門


         雪の上に女性と思われる靴跡。しかも1人。


              二ノ丸


             一ノ丸から城下町を見る


               なにやら小動物の足跡
 
本保澄雄


  • 未分類

2017年12月05日 11:54

前回(11/28)中川光重の増山城城主前後の経緯について老松邦雄さんの説を中心に書いた。しかし異説もある。以下老松さんを含め3人の説。

老松邦雄さん 増山城城主→修城過怠→津向→秀吉お伽衆→増山城城主へ復帰
池田公一さん 増山城城主→修城過怠→津向→秀吉お伽衆
童門冬二さん 七尾城城主(3人)→修城過怠→津向→秀吉お伽衆→増山城城主

老松さん池田さんは光重が増山城城主時代に修城を怠ったとしているのに対し、童門さんは七尾城城主時代に修城を怠った。増山城城主となったのは秀吉お伽衆の後からの話としている。

 もっとも、老松さんは文中では「…と考えたほうが無理がない」「年代にずれがあるのではないか」「…かもしれない」という表現を使用しておられ断定はしておられない。
 



中川光重について
 性格:大雑把。悩まない。合戦になると自分でも不思議に思うくらい力を発起する。秀吉のお伽衆をばかばかしく思う。
 子孫:南砺市福野町に在住。前田利家からの書状や系図など残されている。
 宗半塚:砺波市庄金剛地区の恩光寺旧地の近くにある。
 恩光寺:福野町。1653年に砺波市庄金剛地区から移転。神保氏菩提寺。中川宗半が葬られた寺。
 金沢市野田山:中川家墓地には光重と蕭の墓碑が石廟の中に静かに眠っている。
 神水鉢:肥前名護屋城の周辺によく似た石がいくつも残されており、現地では旗竿石とよばれている。軍旗や馬印を立てるための台石とされている。名護屋での習わしを光重が持ち込んだのではないか。
 宗半肩衝(かたつき=ちゃいれ)利休使用の肩衝を前田利長がもらい受けそれをさらに宗半に下した。しかし宗半は肩衝の価値がわからず粗略な扱いをして利長の不興を買った。恐縮した宗半は肩衝を利長に返した。この肩衝は「宗半肩衝」と呼ばれ現在金沢市中村記念館に保存されている。

 注意)私の話は若いころ読んだ小説などから得たものばかりであくまで「物語の世界」です。あまり信用しないでください。「あのダラ」と思ってください。

  参考図書  前回と同じ

 
本保澄雄


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