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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2018年05月02日 21:17

石川県白山市(旧鳥越村)の二曲城跡。
街道を挟んで向かい側の鳥越城と並び、一向一揆の重要拠点となりました。
紀伊から派遣されたという鈴木氏が守っていたが、織田軍による和睦の騙し討ちに遭って落城。
鈴木氏の姫は美貌で知られ、その名を取った城だそうです。


道の駅一向一揆の里の裏手から登城できます。
独立峰に築城されていますが、いたって規模は小さく、最近復元されたという土塁からは土嚢も見えました。


しかし登城中に偶然白山市の学芸員の方にお目にかかり、詳細な解説をいただき感激するとともに、限られた予算等の中での保存・復元の難しさや奮闘を知る次第でした。


Yoshihisa Anda


  • 未分類

2018年05月02日 13:17

 4月22日、午後2時10分ごろ砺波市増山の亀山城跡付近の山の斜面で枯草や倒木など約5.6eを焼く。県消防防災ヘリや砺波消防署のポンプ車が出動。現場付近を訪れていた観光客が119番通報。約1時間20分後に鎮火。けが人なし。原因調査中(4月23日北日本新聞要旨)

 4月26日 ようやく現場へ行ってみる。もっと早い時期に行きたかったのだが、体調を崩し入院中とあっては仕方がない。
 亀山城付近で工事中の人に場所を聞くがはっきりしない。「まあ、ともかく行ってみるか」と登っていく。それらしき場所を見つける。場所は遊歩道を登り切ったところ、一番奥。まだキナ臭い匂いが残っている。焦げた木の根もある。5.6eと狭い場所であり大事に至らなかったことがせめてもの救い。(1e=100u=10m×10m)
原因はタバコ以外考えられない。
 途中カモシカに出会う。火事騒ぎの時、カモシカはどうしていたのだろうか。ちょっと心配。









  
本保澄雄


  • 日々の様子

2018年04月27日 09:01

5月12日 増山陣屋で 【陣屋deマルシェ】が開催される。これは昨年好評だったことを受け砺波市境域委員会が昨年に引き続き開催するもの。
 若い女性や家族連れに増山城を知ってもらい、またゆっくり楽しんでもらうことが狙い。
 今年はイベント限定商品を昨年の4品から7品に増加。 
曲輪の会もグッズ売り出しの予定。
 【増山城カフェハイク】ではガイドが増山城を案内。富山の名水に選ばれている又兵衛清水の水で沸かしたコーヒーサービス付き。勿論無料。
 昨年は約400人が来場。今年はそれ以上の来場者数を期待。
 詳しくはチラシで。




    
本保澄雄


  • イベント

2018年04月26日 22:03


石川県白山市(旧鶴来町)の舟岡山城跡。
白山青年の家の裏山となっています。
鶴来は白山巡礼の入口であり、交通の要衝。

戦国期に加賀守護代富樫氏が一向一揆により討たれると、河岸段丘の急峻な地形を利用して本格的に整備されました。
織田軍によって制圧されたのち、前田利家により高畠定吉が城代として派遣されましたが、彼は利家正室・芳春院の実家筋にあたるそうです。


石垣や土塁の状態もよく、遺構の見応えはあります。


白山比め神社創祀の地碑や縄文期の遺構の存在から、こちらの山には古くから地の利があるとみられていたと判ります。



Yoshihisa Anda


  • 未分類

2018年04月12日 15:44

 増山城。冠木門後ろのソメイヨシノは今が満開。
この場所は日陰になるのか他の場所のソメイヨシノよりも遅れて満開。今日明日あたりがピークか。
 


・願はくは 花の下にて 春死なん その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)の頃  西行法師
 西行法師が生前に詠んだ歌。「できれば2月15日頃満開の桜の木の下で死にたい。」 驚いたことに西行法師はこの歌の通り陰暦2月16日、釈迦涅槃の日に入滅した。
 西住塚(さいじゅうづか) 西住は西行法師の愛弟子。砺波市庄川町三谷の出身。西行・西住の二人が北国への旅の途中,西住の故郷三谷村まで来たとき西住が病を発し死亡。西行は塚を築きその上に石碑を建て桜を植えて弔った。石碑(代石)には西行・西住それぞれの歌が刻されている。砺波市指定史跡。 当時の石碑は慶長16年(1611)に前田利長が大清水(現高岡市)に御亭を造ったとき、誤って持っていかれたまま返されず、現在は永願寺の境内にそれが建っている。

・「春高楼の花の宴。めぐる盃かげさして・・・」
 御存じ滝廉太作曲の「荒城の月」 滝廉太郎は父親の転勤により、小学校1〜2年生頃を富山で過ごした。このことから滝廉太郎作曲の「荒城の月」は
増山城と同時に続・日本100名城に選定された富山城をイメージしたものではないかともいわれている。富山城西側に歌碑が設置されている。

   
本保澄雄


  • 未分類