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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2014年10月06日 16:51

9月9日に金沢を訪れて1ケ月、簫姫プロジェクト、中村記念美術館を後にした、その後についてだ。


残暑が厳しく、歩いての移動は断念!バスに乗って香林坊を過ぎ南町で降車。


中川家屋敷は現在の武蔵町と高岡町にまたがっており、上堤町の交差点から玉川図書館へ走る道が屋敷の中央を貫いていたらしい。


しばらく歩くと松ケ緑緑地が見えてきた。今は閑静な住宅街になっており、その面影は見当たらない。




中川家屋敷の近くには
神谷家屋敷(光重の娘婿)や長家屋敷(穴水城主、長好連と死別した利家の八女福は光重の息子、光忠と再婚している。)など親戚関係が住居している。

武蔵町は中川家縁の町であることを実感できることができた。
繁華街の裏側は表通りの騒がしさが全く感じられない。何か不思議な空間だ。



帰りのバス時間まで少し時間があったので尾山神社へ寄ってみた。
裏口の門を繁々と見ていると、60代位の紳士から声を掛けられた。私が城が大好きなオーラを出していたらしい。バス時間まで城の話ですっかり盛り上がってしまった。


彼は滋賀県から来られたそうである。近江へ行った際は是非お会いしましょうと約束。、私もここぞと「増山城」のPRをさせてもらった。


城歩きは素敵なアクシデントが満載だ!!充実の簫姫を辿る旅になった。


屋敷跡は公園になっていた。


武蔵ケ辻の町の由来は「前田家重臣の中川武蔵守の屋敷があったことから」とある。




尾山神社東参道から・・旧金沢城の二の丸の門。
宝暦9年(1760)の大火で金沢城大半が焼失するも彫刻されて二頭の龍が水を呼び焼失を免れたとされている。
                 曲輪の会 柄崎


  • しょう姫プロジェクト

2014年09月10日 17:35

9月9日、中川光重(宗半)、蕭姫の足跡を訪ねるため、金沢へ行ってきました!

今回は御夜話集に出てきた茶器「宗半肩衝」に会いに♥「中村記念美術館」へ、


そのあと、玉川図書館で開催中の「末森の戦いと加賀の山城」の企画展へ!


それともう一つ、以前、石川県県立図書館の調査相談カウンターへ武蔵ヶ辻にあったとされる「中川宗半屋敷跡」の調査をお願いした。

「寛文七年金沢図」の町区割りと現在の地図とを比較して割出してもらった場所を訪ねることに!これは一石二鳥だ!今回のプランは我ながら◎だねと思っている。

まずは、「中村記念美術館」へ、残念ながら「宗半肩衝」は個人所有のものなので本物はお目にかかれなかったが、平成11年に開催された市政110年記念・新館開館10周年記念特別展で出展された図録を見せていただきながら、担当者のyさんにお話を聞きました。
かって利休のもとにあった時は底のある赤みのある景色により「蛍」と呼ばれていたという。独特の詫味漂う姿に特徴があり、黒飴のような色に肩は褐色の斑文、胴にかけては所どころ白い蛇かつが表れている。特に潤いのある美しい黒飴色が見所とされている。茶器はさっぱりの私だがYさんの話によるとつやつやとした光沢で独特の質感があるそうだ。黒い飴色を最大限に見せているという。
宗半や蕭姫の手元にあったとされる茶器を図録ではあるが、こうして会えたことは時代を超えて蕭姫に会っているような気持ちにさせる。特別な時間をもらったような気がする。いつか本物と会える日を待ってみたい。ただ、少し気になるところが…御夜話集によると「ふたのない茶入れ」となっている。図録では白いふた付きの茶入れであった。後の時代に創られたものなのか?なお、茶入れのふたの材質は「象牙」と決まっているそうだ。なんと贅沢だろうか。さすが名物茶入れである。そのあと、9日からの企画展「今村コレクション」をみてまわった。加賀蒔絵の漆器にため息が出そうになる。改めて金沢文化の質の高さに触れることができた。


中村記念美術館前にて、


西外惣構の起点となる金沢21世紀美術館南側へ、長町武家屋敷をぬけ、武蔵町から浅野川まで続いている。歩きたいところだが、暑さが辛いので、今回は武蔵ヶ辻までバスで行こうっと!惣構歩きは次回にとっておくことにしよう!
ところで、昼食を取ったところで知ったのだが、金沢城に熊が出たらしく、急きょ、閉園になったらしい?ホントに熊かな〜?


           曲輪の会 柄崎 文枝


  • しょう姫プロジェクト

2014年04月14日 11:18

先月、石川県立図書館へ行ってきた。まぁ古文書らしきものはあるが、さっぱり解らない。早速コピーをお願いし、当会のTK君に翻訳をお願いした。先日、翻訳してもらった資料に目をとおしてみた。
その中から面白い話を紹介したい思う。
(微妙公夜話 異本下巻)
 利長公の姉、お庄さまは(蕭姫)中川武蔵守光重の妻であられる。ある時御城に登られたが、お帰りの際、蓋のないお茶入れを頂いた。「これを宗半(中川光重)へのお土産に」ということでお帰りになり、早速お渡しになさったが宗半が手に取ってみると荒物のようである。「さては我らを侮り、荒物をくださったのだな」と思い遠い遠州へ(小堀遠州、江戸初期の大名・茶人)鑑定に遣わされたところ「良きものに見えますが、荒くも見えます」という返事であったため、やはりその程度かと宗半はほったらかしにしてしまった。ある時、利長公は近習に「いつぞや宗半に茶入れを取らせたが、お前に茶を出したか」とお尋ねになさった。「荒物にございまして、私共に茶は出しておりません」と近習がこたえたところ、利長公はお怒りになって「とんでもないことだ、それは「金銀ぞく」というものである。(現在の「宗半肩衝」のことであろう)たとえ荒物にせよ、俺が与えたものだから、それでもてなすのが道理だろうに」と御茶一道に仲違いしてしまった。ある年御国で茶をもてなされたが宗半をお混ぜになさらなかった。宗半はそれを気にかけ,遠州が粟津に湯治に来た際、再度鑑定を請うた。すると手水を使い一覧するや「これは中納言より拝領したものでしょう。久しく拝見しておりませんでしたが実は「ほたる」という名物の茶入れです」と仰せになった。宗半は仰天したという。宗匠でも見間違うことがあるかのか。はじめ荒物とみられたことからおこり、この話が出たのである。

ここに、利長と宗半の関係が見えないでしょうか?蕭姫は夫と弟の間で苦労も多かったでしょうね。茶入れが「肩衝」とはなんとも皮肉ではありませんか。また、茶の席に招いてもらえなかったことを気にするなど、人間としての宗半が見え、親近感がわきませんか?
解りやすく翻訳してくれたT君、ありがとう♥
               曲輪の会 柄崎


  • しょう姫プロジェクト

2013年02月19日 17:39


「金沢城、間違い訂正プロジェクト」としてブログを閲覧してくださった方よりメールがありました。
二の丸広場から望んだのではなく、三の丸広場ではないかと御指摘がありました。
そしてこれは橋爪門続櫓と五十間長屋、失礼いたしました。
また、鉛瓦についてはも、いろいろな説があるようで、美観と火矢対策と瓦の重量を減らすため、鉄、銅より価格の安い鉛板を木製の瓦に張り付けられた(当時、戦争需要がなく鉛の価格が暴落していた)と思われる研究もあるとの事。

手前が本丸付段の石垣、百間堀側から観ると良く見えますよとのこと、(今度訪れた時には百間堀側から観てみよっと!)
また、石川門を含む左側土塀の修復工事が今年完了すると、手前の作業場2棟は撤去されるとのことです。(景観すごく良くなるね―)
御指摘と共に色々な情報をいただきました。こうしてお城の好きな方と繋がっていけることを本当に嬉しく思います。色々な方に支えられての会です。これからも皆さんにお応えできるような発信を続けていけたらと思います。
        曲輪の会 事務局 柄崎


  • しょう姫プロジェクト

2013年02月14日 13:44

今回、蕭姫の実家、金沢を訪れて感じたこと。
まずは本当に加賀の文化はゴージャス!しかしその反面、この巨大な藩を運営していくことへの大変さを感じました。
表向きは幕府に従順な姿勢を取りつつ、独自に財源を模索し、地場産業を創設し、盛り上げていく、内政をしっかり運営していた様子がうかがえます。加賀藩は波はあるとは思いますが財政が破たんしたしたという話はありません。それこそ「換算者」と呼ばれた利家の影響があるのではないでしょうか?それと多少のいざこざはあったとしても幕府から目をつけられるような御家騒動は幕末まで起こっていません。ここにおいても利家夫妻が家族、家臣を大切にする家風が脈々と受け継がれているからではないでしょうか?その父母をみて育った蕭姫も夫、光重を盛り立て、家族を大切にした女性であったと思わずにはいられません。夫が不在の中、増山城をしっかり守ることができたのは、母親のまつをみて育った蕭姫だからこそと思います。その場所に行って感じるものはやはり特別です。今後は七尾の方へ、野田山、宝円寺の方へも出向いてみたいと思います。
今年も蕭姫プロジェクトを引き続き、続けていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。


成巽閣前にて      曲輪の会事務局 柄崎


  • しょう姫プロジェクト