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2018年11月06日  08:13

増山城戦国祭り 城攻めウオーククイズラリー説明(9)

神水鉢 E 千光寺の心礎を蹲(つくばい)に転用したものか?

神水鉢の用途については、月時計、旗台石、塔心礎などいろいろあるが、今回は新しい説として塔心礎を転用し蹲として利用 説を書く。

  蹲(つくばい)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石おいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。
 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばうようにして身を低くして手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間としても作用する。Wikipediaより 



 
(インターネット「信越北陸諸国の塔跡」より)

「二ノ丸は構造的に見て最も防御された区画であるため、主郭(本丸)と考えられる。・・・中略・・・
 現地説明板では二ノ丸推定心礎は「神水鉢」と云い、窪みには常時水が溜まっており、渇水時にも枯れることはないと解説する。旗台石とする説もある。また旗台石を塔心礎とし、二の丸は仏教施設が存立した空間であったとする説もある。・・略・・
 増山城二ノ丸推定心礎が心礎であることの確定的根拠はないが、大きさ及びその形状、さらに二重の円孔を持つことで心礎であることの可能性はかなり高いであろう。
 では、如何なる由来の心礎なのか。
まず、この山城に塔婆の建立があったとは考え難く、またあったとしても中世後期に心礎を必要とした塔などほぼありえないであろうから、この付近の寺院から搬入し、本丸庭園のなどに転用したものと考えるのが自然であろう。
であるとすれば、如何なる寺院からであろうか。
「幻の塔を求めて西東」では、根拠不明ながら、千光寺からの移転と云う。

そもそも千光寺とは・・・中略・・・

千光寺はかなりの古刹との伝承を持ち、現在千光寺に塔婆の建立があったとの情報は得ていないが、古代に塔婆の建立を見たことは十分考えられるであろう。
さらに当寺は和田川沿いにあり、同じく和田川沿いの増山城の数キロ上流に位置する。もし、千光寺から心礎が搬入されたとすれば、水運で搬入するのに好都合な位置関係にあるのも事実である。
 なお、常に水を蓄えている「神水鉢」は後世の作り話の類であろう。
旗台石であると云う説は形状から連想される後世の思い付きであろう。
あるいは実際に円孔を利用して旗台として使ったことがあったかもしれないが、そうだとしてもこの石が心礎であることの何の妨げにもならないことは自明である。
むしろ旗台のためにわざわざ大石を加工する方が不自然であろう。心礎を転用した方が合理的であろう。
二重円孔式(石の)大きさ156×120 p、
    (孔の大きさ)径28×(深)24 p
            径 7×(深)3 p   」
 注( )は本保が補記
   



 
 神水鉢について長々と書いてきました。
 ご意見などあれば是非教えてください。お待ちしています。
   
               090−7086―5074
 
                
本保澄雄


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