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2017年11月28日  10:41

七尾市津向(つむぎ)町 ―中川光重蟄居地―

 去る9月28日七尾市津向町を通った。「観光ボランティア北陸大会in七尾」で現地研修の際バスで通過したのである。中川光重が蟄居したあの津向町である。
 10月27日ブログに中川光重のにせ手紙事件を載せたがここではその追加分として増山城主前後の中川光重のことを書いてみた。

1562年((永禄5) 光重生誕
   〜
1584年(天正12) 前田利長に砺波・射水・婦負の3郡が与えられた。このころ増山城主に            なったと推定される。
1586年(天正14) 中田で上杉景勝をもてなす。
1594年4月(文禄4.4)〜1595年6月(文禄5.6) この時期に七尾城(一説には金沢城)修城の課役を怠り利長から七尾村津向に蟄居を命じられた可能性大。
その後いくばくもなく秀吉に仕える(3千石)
1596年8月(慶長元) 浪人中。この時期にはまだ前田家への復帰はなかった可能性。
1599年3月(慶長4) 利長の子の養育に努めており、慶長の早い時期に前田家へ復帰したと思われる。(2万3千石)
1603年(慶長8) 蕭姫 没(41歳)
1611年(慶長16) 隠居 隠居後宗半または巨海斎と号した。(1590年頃から宗半と称して            いたという説もある)
1614年(慶長19)没(53歳) 増山城において没したと考えられる。(以下次回)


 (年号については諸説あり。ここでは主として老松邦雄さんの『増山城最後の城主中川宗半(光重)と蕭』に従った。   


参考図書 老松邦雄 『増山城最後の城主中川宗半(光重)と蕭』 インターネット
     童門冬二 『加賀前田家の処世術』 北国新聞社
     池田公一 『名君前田利家』  新人物往来社
     山本和代子 『古城万華鏡』 桂書房

                  
本保澄雄


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