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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2019年05月13日 07:12

全国的な「御城朱印」ブームの中、高岡城跡(高岡古城公園)でも御朱印の販売が始まった。
高岡城跡が2015年国指定史跡になったことを記念し、高岡古城公園管理事務所が販売を始めたもの。
高岡市の書家嶋崎一翠さんが記した「高岡城跡」の文字に前田家の家紋である梅鉢の紋を配してある。
大きさは縦18a、横13a。2種類販売。
同公園三の丸茶屋で販売。単品300円、2枚セットで500円。御朱印の収益は、昨冬の大雪で倒木した桜などの維持管理に充てられるとか。







2種類の「高岡城跡」御朱印

    2019.5.13

                                
本保澄雄


  • 基本情報

2019年4月27日 0:00

増山城跡の「御城朱印(ごじょうしゅいん)」を2019年5月7日より販売します。




 近年、神社や寺院を参拝した記念にいただく、御朱印集めがブームとなっています。御朱印同じように、お城を訪問した記念となるのが「御城朱印」です。名称はいくつかありますが、全国の各地のお城で販売されています。この度、増山城跡の御城朱印の販売を開始します。

 和紙に城名や城主の家紋・花押などの印を押し、日付けを記入してお渡しします。(御朱印帳への直書きは承っておりません。)

 サイズは市販の御朱印帳に収まるサイズですので、お好みの御朱印帳に貼り付けたり、ファイルしたりしてください。

 登城記念にコレクションしてみてはいかがでしょうか?



1 販売価格 1部300円(平袋入り)

2 取扱い場所
 砺波市埋蔵文化財センター 窓口
 (富山県砺波市頼成566 庄東小学校敷地内)


 ※郵送による販売は承っておりません。増山城跡の登城の記念にぜひお立ち寄りください。


3 デザイン
 押されている印は、次の通りです。

  神保氏(丸に縦二引)
  上杉謙信(竹に飛び雀)、
  佐々成政(角立四つ目結)
  前田氏(加賀梅鉢)
  蕭姫

4 各地の御城朱印
 下記HPをご覧下さい。
  城びと
   →お城のご朱印!?登城記念に「御城印」を集めてみませんか?
   https://shirobito.jp/article/417


  • お知らせ

2019年04月15日 21:06

久しぶりの登城。目的は冠木門の桜。
3月から4月中旬にかけて多忙な日が続いた。
本日ようやく登城となった次第である。
冠木門の桜はみごと今が満開。



     
増山山麓は桜が満開



  
増山陣屋開館中 



    
冠木門 は 花の下



   
堀切は今が見頃




二ノ丸への案内板(《二の丸 ← 》は新たに付けられたのかな?)



 写真は4月15日現在

2019.4.16  本保澄雄


  • 日々の様子

2019年02月12日 07:15

 本日は2月12日。前回投稿からはや1ヵ月以上経過してしまった。いつまでも「あけましておめでとうございます」というわけにもいかない。と言ってこの冬場、増山城に特段変わった出来事があったとは思われない。そこでやむなく最近の世間の話題から話を少し伸ばしてみた。

 最近、市の職員に「立ち退きさせてこい。火をつけて捕まってこい」と怒鳴って退職に追いこまれた市長がいたが、戦国時代家臣の屋敷に火をつけた大名がいる。こんな乱暴な大名と云えば織田信長と相場は決まっている。信長の気性をあらわすのによく次の句が引用される。
 鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス 信長
 鳴かぬなら 鳴かして見せよう ホトトギス 秀吉
 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス 家康

家臣の屋敷に火をつけた事情はこうだ。

 信長は安土に城を築き、一族や重臣たちを山腹に、馬回りや弓衆、小姓たち親衛隊は城下町に集住させた。 天正8年正月29日、弓衆の福田与一の屋敷から出火があった。弓衆の屋敷から出火したことは許しがたい行為であった。一屋敷からの出火が城下町全体を焼きÝ尽くす危険もあったわけだから信長が激怒したのも無理はない。信長は、出火の原因はその家臣が妻子を尾張に置いた単身赴任であり、不慣れな生活が原因であったと断定した。当時、単身赴任という考え方はなく一家忠勤が求められていた時代であった。
 調べてみると弓衆で60人、馬回り衆で60人合計120人もの単身赴任者がいた。
単身赴任をやめさせるため、前々築城地である尾張に妻子を置いていた全ての衆の屋敷をことごとく焼き払い、竹木を切らせた。住む屋敷を失った女房達は、とるものとりあえず大急ぎで安土へ引っ越したと言われている。
 馬回り衆の井戸才助は妻子を安土へは来させず、勤務態度もよくない上に文書偽造などを行ったため1579(天正7)年、自害を命じられた。

岩波新書 千田嘉博『信長の城』、インターネット など



 現在、単身赴任はごく自然に受け止められていますが、信長の時代にも単身赴任があったのは驚きでした。

前田利長は富山城焼失のため、高岡城を築城しました。家臣団434名を引き連れての入城だったのですが、家臣団の家族はどうしたのでしょうかね?

 今は言っただけで職を辞さなければならない時代、当時は実際に火をつけてもも誰も文句を言えない時代。権力者の時代の相違を感じますね。

   2019.2.12       
              

 本保澄雄



  • 歴史

2019年01月05日 15:11

あけましておめでとうございます。

いつもブログを見ていただきありがとうございます。感謝の気持ちを込めて皆さん全員に年賀状をお送りいたしたいのですがそうもいきません。
このブログを借りて年賀状とします。



私の年賀状

 お正月の増山城

 正月恒例の増山城初登城、今年は1月4日だった。
昨年は1月4日、1昨年は1月3日に初登城をしている。
正月の増山城初登城は私には欠かせない行事となってしまった。勿論天候や体調にもよるが。



冠木門



堀切 雪が積もって浅く見える



又兵衛清水 正月には「若水」として利用されたかも

 

馬之背ゴ 木の間から太陽の光



一ノ丸から雪の砺波平野

2019.1. 5
   
         
本保澄雄


  • 日々の様子