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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2018年07月17日 21:01

 7月22日(土) 砺波市埋蔵文化財センター しるし では小学生の親子を対象に「オープンデー2018」が開催されます。詳しくは下記チラシで
 


 今年は民具デーを同時開催

 昨年は550名以上の親子が訪れ、大変な盛況でした。今年はそれ以上の参加を期待しています。

 
曲輪の会メンバーも協力しています。

 
              
本保澄雄


  • イベント

2018年07月03日 17:23

 県下各地で猛暑日が続く中、本日(7月3日)砺波南部小学校児童46名が増山城を探訪。
 探訪時間は約2時間とたっぷり。「ふるさととなみ探訪事業」では普段あまりガイドできない《馬洗い池》もガイドできた。十分に増山城を味わってもらえたものと思われる。ガイドは、志部谷、高木、長久、本保の4人。



さあ 今から増山城攻め。先生の注意をよく聞いて



         狭い道では順番待ち 



          《馬之背ゴ》 こんな崖絶対に登れないね



         本保がガイドした第4グループの皆さん
      
                  
       
本保澄雄


  • ガイドレポート

2018年06月27日 11:09

国指定史跡、山中城跡(標高約580m)の城攻め
・場所:静岡県三島市山中新田

概要
 ・障子堀、畝堀など北条流築城術を集めた山城
 ・100名城
 ・小田原城の西の防衛の支城
 ・東海道を取り込んだ城
 ・築城は3代北条氏康(永禄年代1558〜1570)
 ・改修は4代北条氏政
 ・西櫓、西ノ丸の増築(天正17年(1579)頃
 ・落城、廃城は天正18年(1580)

感想
 22日(火)晴:研修3日間の中日の城攻めは山中城跡から始まりました。この城跡の特徴は障子掘と畝堀、デザインの美しさを併せ持つ遺構でした。一度NHKのテレビ番組の中でみたことがあったのですが、今回訪ねて見て凄い堀の工作に驚き、よく整備され手入れされている曲輪、遺構、その背景に山頂の谷筋に少しばかり残雪を戴いた富士山との調和された景色がありました。とっても激戦があったとは思えない程の素晴らしく美しい環境にある山城でした。
 
 西ノ丸の縁まで登って来ると突然眼前に現れたのが畝堀、それが西櫓方向は延びており、さらに西櫓との接点に来ると西ノ丸と西櫓の間を仕切っている障子堀がありました。畝堀は底部を横に間隔を置いて仕切られています。一見私は、良く伸びて縦割りにしたタケノコの本体が堀で、その節が畝の仕切りみたいだなあとイメージしてしまいました。

 障子堀は畝堀より幅が広く底部は水田の棚田のような仕切りの畝がありました。これじゃ、大雨が降ったら水が溜まって大変だろうね、ここらはローム層のようだからぬかるんで、入り込んでしまったら脱出は困難。今見ているこれらの遺構は美しい土の芸術作品のように見えるが凄い遺構でした。説明板によると畝の高さ2m程、側面の斜面の高さは9m程、また、この2つの曲輪をササラ状に囲む畝堀と2つの曲輪の堺の障子堀の写真がありました。これが北条流築城の術で凄い防備施設なのだとまじまじと巧妙な縄張りに感動しました。
 
 この2曲輪では遺構を妨げないように、斜面にはツツジなど目障りにならない程度に植樹し、1本1本丁寧に丸刈りしてあり、堀などは芝を植えて崩壊しないよう保護がしてありました。手入れがとても行き届いた管理がしてありました。
 

 今回は関東地方の城跡を多く研修させていただきました。それぞれの持つ独特の築城の技術、自然地形を生かしながらの縄張りの術、技法や歴史など、幅広く研修させて頂きました。山中城跡と滝山城跡以外では教育委員会、文化財課やボランティアガイドの方に案内を頂きました。皆さまは史跡、文化財などに対してとても熱く郷土愛に燃えておられ、親切丁寧な説明を頂きました。

 私にとりましてはボランティアガイドとして見習うべき所が多々あり、自己研修の必要性を強く実感させられてきました。本当に良い機会を与えて頂きまして、感謝申しあげます。




  • 城攻め

2018年06月25日 11:15

 茶畑が広がる牧ノ原の大地に城跡があります。実際に発掘調査に関わられた島田市教育委員会学芸員の方に案内をお願いしました。たいへん詳しく丁寧に説明していただいた上に、我々の質問にも気軽に答えてくださいました。

 この城跡のある場所は、過去には開発のため壊されそうになったこともあったそうですが、地元の反対によって阻止されたことを聞き、歴史を大切にされて郷土愛を育まれているところといった印象を持ちました。実際に現地を訪れることで、環境などの見えなかったものが見え、現地の人や研究者の言葉を直に聞くことで学び得るものが大きいと思いました。

 諏訪原城跡は、城内に入ると巨大な堀に囲まれ、完璧な防御態勢がとられていました。また、防御するだけではなく攻撃のために備えられた「丸(まる)馬出(うまだし)」には、武田氏の築城技術に徳川氏が手を加えた築城技術を見ることができたのは大きな喜びでした。
 
 今回、研修の中で、自身の郷土史を勉強してきたことが、この地域の歴史をとながったことに喜びを感じました。それは、この城の番人としての松平(まつだいら)家(いえ)忠(ただ)が記した『家(いえ)忠(ただ)日記(にっき)』の中で天正12(1584)年12月、佐々(さっさ)成政(なりまさ)の遠江(とおとうみ)国浜松行きが記されているからです。

 さらに、いただいた資料『国指定史跡 諏訪原城整備基本計画』には、武田信玄の死をいち早くつかんだのは飛騨の江馬(えま)輝(てる)盛(もり)であって、輝盛の家臣、河上(かわかみ)富信(とみのぶ)が上杉謙信の家臣に報じているとの記述がありました。江馬氏や河上氏は新川郡と関わりがあることから、たいへん参考になるものと思うとともに、学芸員の方のご配慮に感謝します。

 視察研修はたいへん充実した3日間となりました。野原さんには、長距離の運転に加えて各先々での案内の依頼や食事に宿泊など全てを担っていただきました。
 中島さんには、研修のための準備や手配をしていただいたお陰で、楽しく有意義な研修となりました。お二人には深く感謝いたし、心より御礼申し上げます。

寺崎








馬出しと二ノ丸間の空堀


  • 城攻め

2018年6月22日 17:00

ボランティアスキルアップ事業県外視察研修に参加して
高天(たかてん)神城(じんじょう)を視察した感想

 「難攻不落(なんこうふらく)の名城」と知られている高天神城は、たいへん興味がある山城です。しかし、富山県から静岡県掛川市は遠距離のため訪れる機会はないと考えていました。今回に研修参加の気持ちを揺り動かしたのは他ならぬ高天神城が日程にあったからです。

 東海北陸自動車道から東名高速道路を通って静岡県に入ったことがわかると、思っていたよりも遠くないような気がして、待ち構えていた坂も抵抗なく登ることができました。 これも野原さんのお陰と心から感謝しております。

 南口駐車場でボランティアグループの方と合流し、追手門側より説明を受けながら登り始めました。この城の視察の目的は、増山(ますやま)城(じょう)と高天神城を比較することと、自身のガイドとの比較です。ガイドについては、勉強不足からガイド経験がないため、今後の自身の案内に参考にすることにしました。

 最初に、高天神城の特徴は、鶴(かく)扇山(おうざん)(標高130m)の東西二つの峰を丘陵鞍部(あんぶ)の曲輪(くるわ)を境にして東西峰それぞれに曲輪群が展開する「一城別郭」の様相を示しながら、周囲は自然地形を巧(たく)みに活かした断崖絶壁や深い谷がある天然の要害になっています。実際に訪れてみて、複雑な城の形状と急峻な地形に「難攻不落の名城」といわれる所以(ゆえん)があるのだと思いました。

 増山城と高天神城を私なりに比較し以下の共通点があると考えました。標高が同じくらい。隣接する亀山城を合わせると一城別郭になり得る。地形を巧みに活かした天然の要害となっている。立地条件から要衝地であるため歴史上極めて重要な山城といえる。しかし、増山城を含め山城について知識不足のため、このようなことがいえるかどうか全く自信はありません。

 次にボランティアグループのガイドの案内については、もう少し情報が聞きたかったとも思いましたが、限られた時間でコースを組み立て、1カ所でも多く見どころを回り、訪れた人に楽しみを見出してもらうということを大切にされ、第一に時間を守り、第二に要所を案内することに重点をおかれたのだと考えます。たいへん参考になりました。この経験を生かして勉強を積み、説明を受ける側が楽しめるような案内ができるようにしたいと思います。このように2つの城を比べることによってそれぞれの城を分析し理解を深めるとともにボランティア活動家より充実するのだと考えます。



 見学して印象に残ったところを5ヶ所取り上げます。1ヶ所は、本丸に続く城内道跡遺構で、かつては家康や勝頼(かつより)が歩いた可能性を秘めた貴重な古道です。その道を踏みしめ、東峰の山上に登ると本丸跡や城の守護のために創建されたという元天神社がありました。

 2ヶ所目は、広い本丸跡で、今は想像もつかない攻防戦が繰り広げられていたというから驚きます。元亀2(1571)年、今から447年前に武田信玄率いる総勢2万もの兵が押し寄せたが、この時の城主は堅い守りで信玄さえも近付くことができなかった。武田信玄はその後の天正元(1573)年に没し、信玄の子、勝頼が父信玄の落とせなかった無念をはらすべき天正2(1574)年に2万の兵で攻め落としたという。

 3カ所目は、軍(ぐん)監(かん)大河内(おおこうち)政局(まさもと)がされたという場所に行き、山腹の横穴を牢屋にしたものを見ました。地元では、昔から子どもが悪さをするとここに入れられると言われているそうですが、子どもたちにとって、ここはどんなにか怖くて近寄り難い所になっているのではないかと思います。試掘調査により現石窟(せっくつ)下層に本来の石窟遺構が確認されたということで、天正2(1574)年の開城時に最後まで武田勝頼に降伏しなかった大河内政局が7年間に渡って幽閉されたのは事実であったと裏付けされました。

 4カ所目は、二の丸から堂の尾曲輪の間の巨大な堀切(ほりきり)です。敵は右往左往して立ち止まっていたであろうと思います。

 5カ所目は、この高天神城の中で特に見晴らしの良い馬場平です。そこは、遠州灘を一望でき、この城が重要な位置にあることを実感できました。

 今回訪れて、この日は季節を感じさせるコアジサイや青梅も見られました。県立自然公園にも指定されていることもあって、美しい植物や豊かな自然に包まれる中、かつての激しい攻防があった山城の遺構を随所に見せながら、歴史を学ぶことができました。たいへん有意義なひとときとなり、参加させていただき感謝いたします。
                      

寺崎

 


  • 城攻め