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増山城解説ボランティア 曲輪の会

増山城解説ボランティア養成講座の修了生を中心としたお城好きのグループです。国指定史跡「増山城跡」のガイド活動をはじめ、増山城跡でのイベントや定期的に各地のお城を訪れる「城攻め」などを行って楽しんでいます。文化庁の市民から文化力プロジェクトに参加しています。
メール kuruwano@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/
設立日 2010(平成22)年10月
会員数 38名
増山城戦国Tシャツ http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/kuruwa/detail.jsp?id=1463
市民から文化力 http://www.bunkaryoku.bunka.go.jp/cgi-bin/shimin/detail.php?id=127
主な活動 2015.10.25 全国山城サミットin米原に出陣
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2019年02月12日 07:15

 本日は2月12日。前回投稿からはや1ヵ月以上経過してしまった。いつまでも「あけましておめでとうございます」というわけにもいかない。と言ってこの冬場、増山城に特段変わった出来事があったとは思われない。そこでやむなく最近の世間の話題から話を少し伸ばしてみた。

 最近、市の職員に「立ち退きさせてこい。火をつけて捕まってこい」と怒鳴って退職に追いこまれた市長がいたが、戦国時代家臣の屋敷に火をつけた大名がいる。こんな乱暴な大名と云えば織田信長と相場は決まっている。信長の気性をあらわすのによく次の句が引用される。
 鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス 信長
 鳴かぬなら 鳴かして見せよう ホトトギス 秀吉
 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス 家康

家臣の屋敷に火をつけた事情はこうだ。

 信長は安土に城を築き、一族や重臣たちを山腹に、馬回りや弓衆、小姓たち親衛隊は城下町に集住させた。 天正8年正月29日、弓衆の福田与一の屋敷から出火があった。弓衆の屋敷から出火したことは許しがたい行為であった。一屋敷からの出火が城下町全体を焼きÝ尽くす危険もあったわけだから信長が激怒したのも無理はない。信長は、出火の原因はその家臣が妻子を尾張に置いた単身赴任であり、不慣れな生活が原因であったと断定した。当時、単身赴任という考え方はなく一家忠勤が求められていた時代であった。
 調べてみると弓衆で60人、馬回り衆で60人合計120人もの単身赴任者がいた。
単身赴任をやめさせるため、前々築城地である尾張に妻子を置いていた全ての衆の屋敷をことごとく焼き払い、竹木を切らせた。住む屋敷を失った女房達は、とるものとりあえず大急ぎで安土へ引っ越したと言われている。
 馬回り衆の井戸才助は妻子を安土へは来させず、勤務態度もよくない上に文書偽造などを行ったため1579(天正7)年、自害を命じられた。

岩波新書 千田嘉博『信長の城』、インターネット など



 現在、単身赴任はごく自然に受け止められていますが、信長の時代にも単身赴任があったのは驚きでした。

前田利長は富山城焼失のため、高岡城を築城しました。家臣団434名を引き連れての入城だったのですが、家臣団の家族はどうしたのでしょうかね?

 今は言っただけで職を辞さなければならない時代、当時は実際に火をつけてもも誰も文句を言えない時代。権力者の時代の相違を感じますね。

   2019.2.12       
              

 本保澄雄



  • 歴史

2019年01月05日 15:11

あけましておめでとうございます。

いつもブログを見ていただきありがとうございます。感謝の気持ちを込めて皆さん全員に年賀状をお送りいたしたいのですがそうもいきません。
このブログを借りて年賀状とします。



私の年賀状

 お正月の増山城

 正月恒例の増山城初登城、今年は1月4日だった。
昨年は1月4日、1昨年は1月3日に初登城をしている。
正月の増山城初登城は私には欠かせない行事となってしまった。勿論天候や体調にもよるが。



冠木門



堀切 雪が積もって浅く見える



又兵衛清水 正月には「若水」として利用されたかも

 

馬之背ゴ 木の間から太陽の光



一ノ丸から雪の砺波平野

2019.1. 5
   
         
本保澄雄


  • 日々の様子

2018年12月10日 16:35

 12月10日、久しぶりの晴。昨日は県下の平野部でも雪。雪の増山城を見たいと早速登城。約1ヵ月ぶりの登城となった。 (実は膝の打撲で1ヵ月以上登城していなかった)



増山陣屋 冬期間は閉館



陣屋の屋根にも雪が




うっすらと雪の積もった大手道 堀切 ⇔ F郭


 

二ノ丸 木々の間から青空が




三の丸の甘柿。今年もたっぷり頂きました。昨年まであった竹竿、今年は見当たりません。手の届くところにはもう残っていません。。


 

三の丸 イノシシが掘り起こしたのかな?来年は出番で準備運動?


 寒くなってきました。私もそろそろ冬眠です。
                 
 
本保澄雄


  • 日々の様子

2018年11月08日 17:28

問7. 増山城名誉城主の名前は
 答え 春風亭昇太 さん 


説明 テレビ番組「笑点」でおなじみの 春風亭昇太さんは大のお城好き。テレビ番組や各種メディアで増山城跡を取り上げていただくなど機会あるごとに増山城をPRしてくっださっています。丙申(ひのえさる=平成28年)九月弐拾六日に夏野市長から増山城名誉城主に認定されました。
 


平成21年7月 我々家臣団(曲輪の会会員)に護られ増山城へ初入城。
その後テレビや本などで増山城を何度も宣伝。
洋泉社ムック 『日本の山城100名城』で「城主になりたい山城トップ3」のトップにランク。


    
夏野砺波市長から認定書



 
昇太さんが増山城を案内。




昇太さんの本『城あるきのススメ』




戦国ポロシャツ 『増山之事 元来 嶮難之地』 は昇太さんによる。


(画像は曲輪の会ブログや砺波市のブログなどから)

               
本保澄雄
 


  • 基本情報

2018年11月06日 08:13

神水鉢 E 千光寺の心礎を蹲(つくばい)に転用したものか?

神水鉢の用途については、月時計、旗台石、塔心礎などいろいろあるが、今回は新しい説として塔心礎を転用し蹲として利用 説を書く。

  蹲(つくばい)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石おいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。
 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばうようにして身を低くして手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間としても作用する。Wikipediaより 



 
(インターネット「信越北陸諸国の塔跡」より)

「二ノ丸は構造的に見て最も防御された区画であるため、主郭(本丸)と考えられる。・・・中略・・・
 現地説明板では二ノ丸推定心礎は「神水鉢」と云い、窪みには常時水が溜まっており、渇水時にも枯れることはないと解説する。旗台石とする説もある。また旗台石を塔心礎とし、二の丸は仏教施設が存立した空間であったとする説もある。・・略・・
 増山城二ノ丸推定心礎が心礎であることの確定的根拠はないが、大きさ及びその形状、さらに二重の円孔を持つことで心礎であることの可能性はかなり高いであろう。
 では、如何なる由来の心礎なのか。
まず、この山城に塔婆の建立があったとは考え難く、またあったとしても中世後期に心礎を必要とした塔などほぼありえないであろうから、この付近の寺院から搬入し、本丸庭園のなどに転用したものと考えるのが自然であろう。
であるとすれば、如何なる寺院からであろうか。
「幻の塔を求めて西東」では、根拠不明ながら、千光寺からの移転と云う。

そもそも千光寺とは・・・中略・・・

千光寺はかなりの古刹との伝承を持ち、現在千光寺に塔婆の建立があったとの情報は得ていないが、古代に塔婆の建立を見たことは十分考えられるであろう。
さらに当寺は和田川沿いにあり、同じく和田川沿いの増山城の数キロ上流に位置する。もし、千光寺から心礎が搬入されたとすれば、水運で搬入するのに好都合な位置関係にあるのも事実である。
 なお、常に水を蓄えている「神水鉢」は後世の作り話の類であろう。
旗台石であると云う説は形状から連想される後世の思い付きであろう。
あるいは実際に円孔を利用して旗台として使ったことがあったかもしれないが、そうだとしてもこの石が心礎であることの何の妨げにもならないことは自明である。
むしろ旗台のためにわざわざ大石を加工する方が不自然であろう。心礎を転用した方が合理的であろう。
二重円孔式(石の)大きさ156×120 p、
    (孔の大きさ)径28×(深)24 p
            径 7×(深)3 p   」
 注( )は本保が補記
   



 
 神水鉢について長々と書いてきました。
 ご意見などあれば是非教えてください。お待ちしています。
   
               090−7086―5074
 
                
本保澄雄


  • 基本情報