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ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/
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2012年08月16日 15:28

暑い日が続いていますね。
そんな暑さも少しは和らぐのではないかと、少々身の毛もよだつような伝承をお話します。

―万遊寺のかね―
昔、柳瀬に増山城の出城がありました。上杉謙信が増山城を攻め落としたとき、この城の兵士も最後まで戦って討ち死にしました。その出城の跡に建てられたのが「万遊寺」です。
寺の釣鐘は昼だけしかつきませんでした。夜に鐘をつくと、御堂の下から馬のひづめの音や兵士の叫び声が聞こえてきたのだそうです。
この釣鐘は戦争中に供出してしまって現在は無いとのこと。
討ち死にした兵士の魂が鐘にとりついてしまったのでしょうか…。

夜にお寺の境内で聞こえる兵士の叫び声…怖いですね。よほど無念の討ち死にだったのでしょうか。
現在はその鐘がないということなのでご安心ください。


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2012年08月09日 10:16

戦国時代の武士の食事について調べていたところ、『兵糧丸(ひょうろうがん)』と言う食事があることを知りました。

敵を倒す力をいかに高めるか、源はやはり玄米。
炭水化物とビタミンB1が両方豊富に含まれている玄米をさらに高濃度にパワーアップし携帯に便利になるように超軽量化&小型化したのが、この兵糧丸。

さっそく作ってみました!!

【材料】
酒、きな粉、そば粉、かつお節、小麦粉、玄米粉、すりごま、砂糖、水(酒と水は様子をみながら入れます。)
◎分量は同量です。今回は10gずつ。

材料を全部混ぜて、手で丸めます。






後は、30分蒸します。



蒸したら、きな粉をまぶして。出来上がり。とっても簡単♪



今回は食べやすいように砂糖を入れて作りました。当時は砂糖は貴重だったそうです。
食べた感想は・・・
意外とおいしい〜 \(^o^)/
かつお節の風味がよく出ていて、お茶請けにも合います。
当時の方は、こんなものを食べていたんですね〜勉強になりました。
※そば粉と玄米粉は「道の駅となみ」で調達しました。
興味のある方、作ってみてください。

参考文献:戦国の食術/永山久夫





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2012年08月06日 14:52

先日のブログでご案内した 松原遺跡速報展「生の螺旋」。
砺波市庄川町にある松原遺跡は砺波市の指定文化財です。今から約5000年前の土器などが出土しています。
縄文中期の土器を編年形式で展示しており、デザインの移り変わりを見ていただけます。




ただの石ではありません。


『石錘』といって、魚網の下に括りつけておもりに使用していたのだそうです。石の両端に切れ込みを入れるように削られており、そこに縄をひっかけたものと思われます。庄川で漁労を営んでいたのでしょう。


今回は個人の方が発掘・修復された土器類も展示されています。なかなかお目にかかれないものもご覧いただけます。


ちなみにこちら。


個人で発掘・修復をされたかたが、独学で描かれた土器の絵です。ご自身で真弧を手作りされて土器の輪郭を取って描かれました。すごく緻密な絵です。

会期は9月2日までです。
5000年前の郷土の先人の生活をぜひ感じ取ってみてください。


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2012年07月30日 22:34

松原遺跡発掘速報展「生の螺旋」






開催期間:平成24年7月27日(金)〜9月2日(日)
場所:となみ散居村ミュージアム→HPはこちら
開館時間:午前9時〜午後6時
休館日:毎週水曜日・毎月第三木曜日(祝祭日を除く)
入館料:一般 高校生以上100円 20名様以上の団体80円
    身体障害者手帳等の所持者及び介助者 無料

今回は砺波市埋蔵文化財センターにある遺物だけでなく、富山県埋蔵文化財センターや井波民族資料館、個人で所有されている物も展示されています。
この機会にぜひご覧ください。


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2012年07月18日 23:41

 鹿島建物総合管理株式会社が年に4回発行している企業報「BM(Building management)」。砺波市の企業と取引があるということで、今回は砺波の散居村について見開き3ページ半に渡って大きく取り上げられています。


田植えの終わった水田に映る青空とカイニョが綺麗ですね。

 記事では庄川の氾濫と砺波平野の開拓を始めとして、そこから生まれた散居村と農業、砺波独自の建築様式であるアズマダチとカイニョについても書かれています。また「主役の座を得た裏作」としてチューリップについても取り上げられています。



 散居の景観と検地の話についても書かれていて、小さい頃に祖父がその話をしてくれたことを思い出しました。
 住んでいるとその景観が当たり前すぎて、何の意識も疑問も持たなかったりしますよね。
 こういう郷土の歴史も子供たちには知っていてほしいなと思いました。学校で教わったりするのかな?
 

記事の中では、ふるさと文化財に指定されている「ヨータカ」についても取り上げられています。今年の春に砺波郷土資料館の高原館長に取材をされる中で「砺波は地元の人同士の結びつきも強いんだよ」という館長の言葉から、「ヨータカ」も取り上げることにしたのだそうです。この辺りって地域住民によって執り行われる行事がたくさんありますよね。ヨータカはもちろん、獅子舞・地蔵祭り・夜高祭り…などなど。
 ただ、人間関係が希薄になりがちと言われる現代にあって、地域の結束というのは希少になりつつあるのかもしれません。


 この企業報は全国の鹿島建物さんの営業所やお取引先に配布されるそうです。砺波の風土を全国発信!一般的には手に入りにくいものかもしれませんが、見かけられた方はぜひお手にとって読んでみてくださいね。


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2012年07月09日 12:38

 先日まで花しょうぶ祭りが開催されていた頼成の森に行ってきました。いたる所にあじさいが咲いていてとても綺麗でした。あじさいは夏の季語です。
 あじさいの花びらのように見える部分は実はガクで、花のは中心に小さく付いている部分なんですよね。



 色が濃くて鮮やかですね。
 あじさいの花言葉のひとつに「移り気」というのがあります。咲き始めの頃は白っぽく、次第に色が変ってくることからそのような花言葉が付いたのでしょうか。

 これからの季節は睡蓮も盛りになるらしいです。
遊具もあるので家族でお出かけされるのもいいですね。
 



  • 見たこと

2012年07月06日 09:16

 「苗加板碑」は平安時代末期の武将 斉藤実盛の末裔と伝わる旧家の庭に所在します。
庭にはラントバと呼ばれる小祠があり、そこに祀られています。
 中世までの砺波は洪水の比較的少ない土地に小さな村々が生まれていました。板碑が所在する周辺はかつて野尻川の氾濫原であり、この地の開拓は文禄三年(1594)に前田利長が野開き申付状を出して以降、急速に進んでいきます。
 「苗加板碑」は供養塔として造立された2基の板碑と2体の石仏から成り、板碑に彫られた「康暦二年」(1380)の年号から、板碑は南北朝期に造立されたものと考えられます。また、その石材は関東地方で採掘されるものであって、この地方の板碑には極めて珍しいものです。
 写真中央の青味がかった二つの石が板碑です。
 縦長の方をAとし、背の低い方をBとします。
 



 板碑Aの上部には2本の線が彫られ、その下には大日如来を表す梵字「バン」が蓮座に乗るような形で彫られています。またその下には「康厂二年八月日」と刻まれています。「厂」は「暦」の略字で、康暦2年は北朝の年号で西暦1380年です。

また、板碑Bは上部が欠落した形で残っています。左には「サク」(勢至菩薩)、右には「サ」(観音菩薩)の種字があります。欠落した部分には「キリーク」(阿弥陀如来)が彫られていたのではないかと推測されていて、この三仏で弥陀三尊が彫られていることになります。

一方、石仏は高岡市雨晴周辺で採掘される石材を使用して目鼻立ちのはっきりとしない如来形の坐像を浮彫りにしたものです。この地方の古くから開けた土地には多々見られ、こちらの石仏も造立年は南北朝期であろうと考えられています。
 これらは個人のお宅のお庭にあるものなので一般に公開されているものではないということです。
 損壊は見られるものの、このような石碑が今に残っているということは子孫の方々の宗教心の表れなのでしょうか。板碑がどのような経緯で関東から砺波に持ち込まれたのかを想像するのもおもしろいですね。


  • 考古資料

2012年06月29日 17:00

 砺波市東保にある旧東般若小学校の校舎は砺波市ふるさと文化財に指定されている建造物です。こちらの建物は明治の名工藤井助之丞が手掛けた木造校舎です。
 現在は3分の1ほどの大きさになって東般若公民館などに使用されています。




【藤井助之丞】
1860年11月30日、砺波郡太田村(現砺波市太田)に生まれる。当時から誉れの高かった井波の宮大工松井角平恒広(四代)に弟子入りし、従来の宮大工としての技術に加え、近代洋風建築の技法も学んだ。

 助之丞は、宮大工として各地の神社仏閣をたくさん手がけましたが、洋風建築の学校・農業倉庫・民家などにも腕を奮いました。
 日本が19世紀の半ばに開国をし、西洋の文化や文明を積極的に取り入れようとした時、庶民たちにとって、まず最初に「西洋」に触れる機会を持ったのが西洋風の小学校に通うことであり、役所などの公共建築が洋風建築で建てられていくことであり、地域の知識人である開業医が建てた洋風建築で西洋医学の治療を受けることだったようです。
 

 西洋建築の需要が高まる中で、伝統的和様建築の技術者(宮大工等)たちが創りだした建築様式を「擬洋風建築」といいます。西洋建築の様式や技術に関する知識も技能も持っていなかった彼等は、外国人居留区や東京に「西洋館建築」を見学に行き、そこで学んだ西洋建築の形態を自分達の伝統的和様建築技術で造ったのです。
助之丞も熱心に西洋建築を学んでいったのでしょうね。

 東般若小学校は、そんな時代の風潮の中で建てられました。入口の柱部分にはアーチがついていたり、装飾部分もハイカラな感じがします。この校舎は文明開化以降に近代化を目指した日本人のエネルギーの産物のひとつなのかもしれません。


 助之丞の手掛けた建造物は他にも、砺波市内には旧中越銀行本館(現・砺波郷土資料館)があり、南砺市には県立農学校(現南砺総合高校福野高校「巌浄閣」)などが残っています。


  • 建造物

2012年06月28日 11:03

先日のブログでは、千光寺で開かれる朝市「芹の市」のお知らせをしました。
当日はたくさんの方がいらっしゃったようで、地場産の野菜やお米などもたくさん買っていかれたのだとか!文化財めぐりにもたくさんの方が参加されていました。

千光寺には富山県指定文化財・砺波市指定文化財が多く有されています。ふらりとお出かけされても、自動音声案内があるのでご利用になるといいかと思います。

そんな千光寺で見つけた「夏」




蓮の花です。水面近くにはまだつぼみがいくつも見えたので、まだまだ蓮の花の観賞を楽しめるのではないでしょうか。
ちなみに話はそれますが…浄土真宗の教えの中に「蓮の花の教え」というのがあります。
「きれいな水の中でしか咲けないわさびの花よりも、泥水の中で咲き誇る蓮の花になりなさい」というのは私なりの覚えなのですが、泥の中にもしっかり根をはってきれいな大輪を咲かせる姿はきれいですね(*^^*)
蓮は7月の誕生花で、夏の季語ですね。今週は梅雨の晴れ間が多かったけど、これからどんどん暑くなるんだろうなぁ…。夏バテにはお気を付けくださいね。


  • 思ったこと

2012年06月18日 12:06

 先日は大般若会についてお伝えしましたが、今日は同日の午前中に行われた開山忌についてお伝えします。



 開山忌は、薬勝寺の招請開山僧である桂岩運芳師の法要です。この桂岩運芳師の頂相は砺波市の指定文化財になっています。この像は「木造桂岩運芳倚坐像」といい、南北朝期末〜室町時代初めの制作です。運芳師は招請開山であるため、開創当時はこの地を訪れてはいないとのこと。招請のシンボルとして請来したのがこの像なのだそうです。

 さて、この開山忌には薬勝寺が属する臨済宗国泰寺派の管長様が来られます。真ん中にいらっしゃるのがその方なのですが、毎年管長様がいらっしゃるのは、塔頭寺院以外ではこの薬勝寺だけなのだそうです。


 法要の始まりは鐘の音と虚無僧の尺八です。本堂に尺八が響く中、管長を含め僧侶の方々で出ていらっしゃいます。
 私はお寺で行われる法要に出席したのが初めてだったのですが、13人で行う読経は迫力があり、荘厳な感じがしました。ちなみに読んでいるお経は「楞嚴呪」(りょうごんしゅ)というもの。「呪」は呪文という意味だそうですよ。表記は漢字ですが、言葉はインドの言葉ということで、聞き取れる箇所が全くありませんでした(^^; (当たり前ですね・・・)



 本堂には60人くらいの方々が集まっていた他、台所にもお食事の準備などをしている方も。準備や片付けなどは檀家信徒の皆さんがお手伝いをされるそうなのですが、安川地域を中心に高岡周辺からもいらっしゃるとのこと。檀家さんは旧般若野荘内に分布しているそうです。
 南北朝時代に開山した薬勝寺が、平安時代末に成立した般若野荘の歴史のすべてを見てきたというのは少々乱暴かとは思います。ですが、現代に至るまで荘内の人々や地域の皆さんの拠所として存在してきたのでしょうね。
 初めてのお寺の法要で、荘厳で厳粛な雰囲気を感じてきた一日でした。


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