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ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/

2012年02月22日 13:52

2月18日土曜日、野武士の太子講が行われました。
毎年2月21、22日(準備は20日から)で行われたこの行事は、最近では21日前後の土、日どちらかで、場所も各家での宿から公民館(安川農業構造改善センター)へと数年前から変更され行われています。

当日は朝7時頃、普段御堂に安置されている“お太子さん”は車に乗せられ、近くの公民館に移されます。用意された飾台の上に置かれ、両脇に紅白の餅や御酒などお供え物が置かれます。そして午前、午後1回ずつお経をあげ、夕方になるとまた車で御堂にお帰りになるそうです。

昔は太子講になると毎年宿になったお宅に移され、座敷に軸を掛け、飾台に置かれ、お経をあげ、家族はもちろん、親戚、集落、地区の人達が大勢お参りされたそうです。
もともと太子堂建立は、子どもも「本願に歩いた」と言われるように、近隣の郷を勧進して歩いたそうです。不況が続いたこの頃、悲願の“お太子さん”の存在は、生活の拠りどころであったのでしょう。宿が廻ってくる家では準備に怠りがないように、その時期に合わせて屋根をなおしたり、畳替えをしたり、部屋を改築したり、これを機会に、と家を建て替えたと聞きました。
これらの行動は“お太子さん”への感謝の気持ちと厚い信仰心からなのでしょうか。
少し形態は変わりましたが、今も約25軒でその意思が受け継がれています。

ふるさと文化財安川野武士の太子堂


  • 歴史

2012年01月20日 11:49

砺波平野の東部に広がる中世の荘園。奈良東大寺領井山・伊加流伎・石粟の3荘が衰退したあとに成立したと考えられています。推定される領域は、東部が庄川町三谷から北は高岡市中田まで、西部が砺波市太田から北は高岡市春日吉江に及びます。現在はその中央を庄川が貫流しますが、これは近世初頭に東遷したためで、中世は地続きだったそうです。
領主は当初から京都の公卿徳大寺家。徳大寺家は、在地守護勢力の介入を受けながらも、中世末まで約4世紀に渡って変わりませんでした。しかし、下地中分は次第に進み、南北朝合一直後の明徳4年(1393)の文書に「領家方」とあります。
その後、領主徳大寺家の当主は幾度か現地へ下向しましたが、天文14年(1545)下向の折、現地住民に殺害されました。昨日の公卿塚がそうですね。


私が通っていた学校の校歌の歌い始めは、「い〜か〜る〜ぎ〜の〜、………♪」でした。当時「いかるぎ」って何だろう?と思って歌っていたことを思い出します。

昨年刊行され話題になっている『となみ山城マップ』にも般若野荘が掲載されています。


  • 歴史