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ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/

2012年07月06日 09:16

 「苗加板碑」は平安時代末期の武将 斉藤実盛の末裔と伝わる旧家の庭に所在します。
庭にはラントバと呼ばれる小祠があり、そこに祀られています。
 中世までの砺波は洪水の比較的少ない土地に小さな村々が生まれていました。板碑が所在する周辺はかつて野尻川の氾濫原であり、この地の開拓は文禄三年(1594)に前田利長が野開き申付状を出して以降、急速に進んでいきます。
 「苗加板碑」は供養塔として造立された2基の板碑と2体の石仏から成り、板碑に彫られた「康暦二年」(1380)の年号から、板碑は南北朝期に造立されたものと考えられます。また、その石材は関東地方で採掘されるものであって、この地方の板碑には極めて珍しいものです。
 写真中央の青味がかった二つの石が板碑です。
 縦長の方をAとし、背の低い方をBとします。
 



 板碑Aの上部には2本の線が彫られ、その下には大日如来を表す梵字「バン」が蓮座に乗るような形で彫られています。またその下には「康厂二年八月日」と刻まれています。「厂」は「暦」の略字で、康暦2年は北朝の年号で西暦1380年です。

また、板碑Bは上部が欠落した形で残っています。左には「サク」(勢至菩薩)、右には「サ」(観音菩薩)の種字があります。欠落した部分には「キリーク」(阿弥陀如来)が彫られていたのではないかと推測されていて、この三仏で弥陀三尊が彫られていることになります。

一方、石仏は高岡市雨晴周辺で採掘される石材を使用して目鼻立ちのはっきりとしない如来形の坐像を浮彫りにしたものです。この地方の古くから開けた土地には多々見られ、こちらの石仏も造立年は南北朝期であろうと考えられています。
 これらは個人のお宅のお庭にあるものなので一般に公開されているものではないということです。
 損壊は見られるものの、このような石碑が今に残っているということは子孫の方々の宗教心の表れなのでしょうか。板碑がどのような経緯で関東から砺波に持ち込まれたのかを想像するのもおもしろいですね。


  • 考古資料

2011年12月02日 17:58



■法泉寺塔・砺波市秋元

法泉寺には板碑(供養塔)がある。
このお寺、三十品種余りの牡丹の花が咲く牡丹寺≠ニしても知られている。
現物は高さ80a、幅40aの安山岩。
調べると、板碑のカテゴリでは古いタイプに属し鎌倉末期から南北朝期にかけて造立されたものとされ、種子と呼ばれる箇所には、月輪の中央に大きく薬研彫りの「バン(大日如来)」が刻まれている。昭和35年に行われた付近の川の改修時に発見され、以来安置されているのだとか…。

板碑は板石塔婆ともいう。
鎌倉時代に関東地方に爆発的に発生し、急速に全国に普及したもの。

ここにも中世を語れるものがあった。


  • 考古資料