Tonami Blogへ
ID パスワード
このblogのトップへ戻る

ふるさと学芸員の小窓

ふるさと学芸員のブログです。砺波市の「ふるさと文化財」とは、地域の財産として親しまれ大切にされている文化的財産のことです。このブログで少しずつご紹介していきたいと思います。
メール furubun001@gmail.com
ホームページURL http://blog.city.tonami.toyama.jp/group/furusato/
1  | 2
次のページ

2012年10月31日 11:51

祖泉神社の鳥居前の小堂にいらっしゃるお地蔵様は、南北朝期から室町初期の作と見られるとても古いお地蔵様です。磨耗や欠落が激しい状態ではありますが、肉厚で丸みをおびた感じが優しい印象のお地蔵様です。左ひざを曲げた半跏の状態で座っていらっしゃいます。


膝の状態は見えないですね(^^;)

毎年10月30日に地域住民の有志の皆さんによって地蔵祭りが開かれています。




現在、祖泉の地蔵祭りには宮丸の西方寺さんがおまいりをされています。かつては瑞泉寺さんからお参りにこられていたそうです。お寺さんが変った理由にはこんなお話が。


昔、祖泉には大きなケヤキの木がありました。地域の住民達は、「この木はいつか西方寺さんに差し上げます」と約束をしていたそうです。

明治15年に瑞泉寺さんが火事で焼けてしまいました。瑞泉寺さんの大きな御堂を再建するには大きな木が必要となり、探したところ祖泉のケヤキはどうだろうということになりました。
 
 瑞泉寺さんが地域住民にケヤキの寄進をお願いしたところ、住民達は「これは西方寺さんにあげるものだからダメだ」と断りました。
 そこで、瑞泉寺さんは「ケヤキを寄進してもらう代わりに、祖泉の地蔵祭りはこの先ずっと西方寺さんにお参りしてもらうことにします。」と約束をし、ケヤキを寄進してもらうことができました。

 昔は地蔵祭りに参加する住民も多かった為、お祭りの際に集まるお布施はとても多く、米俵なんかは荷車を引いて帰るくらいだったのではないかとのこと(西方寺住職・談)

 地元のお寺を大切に思う住民の皆さんは、それだけ巨額のお布施が西方寺さんにいくのであれば、ケヤキをお渡しするのに匹敵すると考えたのでしょうね。信仰心の厚さが伺えるお話でした。

 600年くらい祖泉に鎮座するお地蔵様。お近くの方はそっとのぞいてみられてはいかがですか?


  • 彫刻

2012年06月06日 13:09

 6月号の砺波市広報「知ってナットク!砺波の文化財」(23P)にも掲載されている、「荒高屋恵比須社」。この社での田祭りが6月5日に行われました。

 恵比須様と大黒様が一緒に祀られているというのはとても珍しいことなんだそうです。鯛を抱えた恵比須様と、米俵の上に座って小槌を持った大黒様。満面の笑顔です。




 こちらの社は明治24年に荒高屋下村の地主さんの呼びかけで五穀豊穣を願って建立され、地域の方々によって田祭りが行われています。ちなみに参加者の中にはその地主さんの子孫の方もいらっしゃいました。

宮司さんのお話によると、田祭りは昭和31年までは6月9日、昭和32年〜平成7年までは6月10日に行われ、平成19年以降に6月5日で確定されたんだそうです。平成3年には創立百年祭があったとのこと。長きにわたって地域の方々に大切にされている社なんですね。



この日も20人ほどの方が参加されていました。

祭では、宮司の方が太鼓を叩いて祝詞を読み上げ、代表者の方が榊を備えて全員で柏手を打ちます。


 社に集まった皆で柏手を打つ響きや低頭する姿は、心地いい緊張感がありました。

 これからも荒高屋の五穀豊穣を願いながら鎮座し、地域の皆様によって守られていくことと思います。


「開運御守」いただきました。精進します!


  • 彫刻

2012年04月20日 16:34

 4月19日の新聞で紹介されていました。
 ふるさと文化財No.19の「山田文作像」が修復されたそうです。

 今日行ってみたら、まだ足場が残っていました。




 「山田文作像」は、上海事変(1932)で戦死した山田文作の供養のために、母みつが鏝絵(こてえ)の名工竹内源造に依頼して建てられた忠魂碑です。
 材質には当時貴重だったコンクリートが使われており、製作費は家2〜3軒分ほどかかったそうです。この写真では分かり難いですが、軍服の皺のような細かなところまでリアルに造られていました。
 小牧ダムで潤った時代背景や壁職人であった竹内源造のレベルの高い技術を見る事ができます。

 今回の修復では像に生していたコケが取り除かれ、コンクリートの剥がれやひびが入っていた部分を復元したそうです。
 これからも平和な世の中を願いながら見守り続けてくれることでしょう。


  • 彫刻

2011年12月27日 18:19



笑う門には福来る!!!


■荒高屋恵比須社・砺波市荒高屋

国道156号線、荒高屋交差点を西にしばらく行くと恵比須社があります。
明治24年、荒高屋下村の地主によって建立されたものです。
恵比須は商売繁盛、大黒天は五穀豊穣の神様として知られていますが、砺波市内では珍しく、石で彫られた恵比須・大黒天が祀られています。
地元では現在まで祭りが継承され、大事にされてきました。
祭りは、「田祭り」といい、下村で世話をし、毎年6月5日に行われています。

恵比須 高さ55cm 幅40cm 泥岩 彩色
大黒 高さ61cm 幅37cm 凝灰岩 彩色




ここも一年に一度だけ御開帳。
今も悔やまれますが、今年、気付くのが遅くて田祭りは見ていません。でも、ラッキーなことに、おとなり東野尻地区の苗加に恵比須社があり、そちらの「恵比須祭り」は見れました。

う〜ん、それにしても見れば見るほどリアルな笑顔!
写真を何回見ても、つられてニンマリするのは私だけでしょうか?



登録証が額装され、掲げてありました。




  • 彫刻

2011年12月09日 11:27

■庄川大仏・砺波市庄川金屋

庄川町金屋の光照寺境内に大仏が安置されています。
別名「金屋大仏」「十万納骨大仏」ともいわれるコンクリートでできた大仏です。
昭和5年に着工され、昭和8年に竣工。
高さ11メートル、胴幅5メートルで、県内の三大大仏にも選ばれています。
供養と慰霊を目的に、大仏の体内には10万人分の遺骨が塗りこまれたのだそうです。製作者は射水(旧小杉町)の鏝絵の名工、竹内源造。


近くには、同じ『ふるさと文化財』に登録されている、木村産業且末ア所や山田文作像が見られます。もうすこし足をのばすと、庄川水記念公園、庄川美術館、水資料館や庄川温泉郷もあります。

今日は冷えて、山もとうとう白化粧しました。




  • 彫刻

2011年11月17日 15:01

■井栗谷峠の不動明王石仏・砺波市井栗谷

高さ237cm、幅145cm
「明治27年 石献納大沢又次 森川栄次郎作」と銘文がある。
井栗谷峠にあり、東別所上村の不動明王と同様に、上市大岩日石寺の不動明王をお手本にしている。石材は地元寺尾の石切り場から採掘し、この峠まで引き上げるのに3日間も要したという。

写真左手奥は、寺尾から井栗谷トンネルに入る手前を上ってきた道。
今は静かですが、昔この通りはたくさんの人が往来してたんでしょうね。


石の大きさにびっくりです!
ここを通るたびに新しい生花が供えてあり信心深さが伝わってきます。


  • 彫刻

2011年11月07日 11:52

■聖徳太子孝養像・砺波市宮村(景完教寺)

砺波市宮村にある景完教寺には16歳の聖徳太子孝養像が安置されている。
高さ75cm、室町時代の作で材料は檜の寄せ木造りの立像である。
手に柄香炉を持っているのが特徴で、これは聖徳太子の父である用明天皇の病気快復を帝釈天に対して祈願する姿といわれている。
聖徳太子はご存知のとおり歴史上有名な人物であり、仏教を厚く信仰した人であり保護したとされることから、日本の仏教興隆の祖として宗派を超えて崇敬されてきた。
孝養像は、景完教寺の開基とされる了通が小矢部市の宮島峡で俊寛僧都から譲り受けたものとの伝承があり、年に一度だけ御開帳される秘仏になっている。
また寺には孝養像の他に1708年(宝永5年)、加賀の名工宮崎寒雉が鋳造した梵鐘がある。こちらは砺波市指定文化財として登録されている。





  • 彫刻

2011年09月26日 14:43



■千光寺道標石塔・砺波市三合新

庄川右岸の芹谷段丘には、江戸時代に「巡見使道」として使われていた古い旧道があり、国道359号線から少し入ったその道縁に石塔は建っている。石塔は、これまでに二度倒壊しているが、平成18年(2006年)、千光寺観世音菩薩像(富山県指定文化財)の33年御開帳の際に千光寺と地元の篤志によって修復再建された。

石の大きさは、棹石(さおいし)174cm、幅25.7cmで、石に刻まれた銘文には、「苦しみから逃れ、幸福に生きることは生きものの本性であり、その願いをかなえるのが仏様である。千光寺の観音様は天竺からこの地に渡来され、大宝三年(703年)から祀られているが、皆さんもお参りになってあらたかなお力を受けられるがよい。」(解説 金子容士)とある。
背面には「千光寺五十九代僧性海粛誌」、右面には「芹谷山観音道 従是八町」とあり、一町が109メートルなので千光寺まで約872メートルであることを示している。資料には他に、「石工 井波善次郎」の文字が刻まれているとなっているが、見つけられなかった。

「芹谷山千光寺拝領地絵図」(千光寺蔵)では、この石塔から「参道」と記されており、参道は寺社や寺に参拝するために設けられた道であることから、この場所が千光寺にとって重要な場所であることがわかる。


  • 彫刻

2011年08月29日 17:24



■東別所上村の不動明王石仏・砺波市東別所

8月27日・土曜日、東別所上村にて不動様祭りがありました。
日中から準備が始まり、夕方から部落の人たちが不動明王石仏前に集まり、参加者全員で経本を見ながら声を出しての読経でした。

不動明王石仏は、井栗谷経由または国道359号線三合、芹谷から東に行った別所集落の中にある。車で走っているとバス停そばの道縁にあるのですぐにわかる。

不動明王は赤い火炎を背にして、ちょっと怖いお顔にもみえる。
上市大岩の日石寺に国指定重要文化財の「大岩崖日石寺磨仏」があるが、江戸時代に眼病に霊験あらたかな現世利益の仏として近辺の尊崇を集めたという。幕末には多くの大岩不動の模刻が各地に造立された。
作者は、明治時代に活躍した石工森川栄次郎だといわれている。伝承によると明治22年大原野石畑の谷あいより現在地に搬入し、この地で彫刻されたという。栄次郎が明治36年に亡くなっているので伝承とも合致する。

御堂の屋根を今年4月に葺き替えたと常会長の大原さんから伺いました。石仏を通して、住民同士のきずなや住んでいる土地への思い入れがこれまでよりも増して強いものになったのではと感じました。


  • 彫刻

2011年08月16日 18:17

■秋南の十一面観音石仏・砺波市秋元

小矢部、坪野線、秋元十字路の信号機より東へ約100メートル、河原三郎右衛門宅前を右折して南へ100メートル位、秋南集会場前に木造の御堂がある。
 この堂は、旧中筋往来と旧石動往来との交差点の東北角に石動往来に面して建立されたものと思われる。
 明治18年9月の建立で、その後、世の変遷に伴い何度か道路が移転拡張され、現在は100メートル西側及び北方へ道路が移動し、昭和43年耕地区画整理の際に旧道もなくなり今は静かな佇まいとなっている。高さ244センチメートル、幅117センチメートルの南般若地区随一の大きな石仏である。その御姿は、端麗な容ぼう、柔和なまなざし、頭上の真中に阿弥陀如来相といわれる仏、その左右に五面づづ化仏の面をつけておいでる十一面観音様である。
 右手を広げ左手には蓮の花を持ち、金色の輪の中に立たれた御姿は、いかにも神々しく自ら頭が下がる。
 昔、秋元の大三昧と呼ばれ、中筋一番恐ろしいといわれた所で、北隣に、南新右衛門(明治の初期頃は安太郎)という大きな屋敷があり、大きな木がうっそうと繁り、それより南へ共同火葬場へと続いていて、その中でもとりわけ大きな桜の木があって「たぬき」や「きつね」が住んでいて、道ゆく人をおどかすので昔の人達、(高畑喜作(82才)の先代吉右衛門)等は、脇差を持って通ったと伝えられている。それで死者の供養と道行く人を守っていただくために建立されたそうである。
 石屋さんから、秋元上村の若衆が総出をして転引きで運ぶ途中、太田の四つ角で動かなくなり、あらゆる手立てをしても動かず、途方にくれてその村の万福寺の住職並びに般若庵の尼僧にお経を上げていただいたところ、不思議にも動き出し現地に到着出来たと聞いている。
 その御縁で以来毎年の祭礼には万福寺の住職並びに尼僧にお参りに来ていただき読経、西国三十三番礼所の御詠歌があげられている。
 この観音様は、西国三十三番礼所の八番大和の長谷寺の十一面観音様にあやかっているのではないかとも伝えられる。ちなみに、観音堂に掲げてある額に八番の御詠歌が書かれている。
 昔は、ばん持大会が盛んで村の若衆は広場に集り石を持ち上げてその力を競った。その名残のものと思われる石が一個、観音様正面の松の木の根元に置かれている。
 祭りの晩には踊りがあり、音頭取りと呼ばれる唱い手が遠くの村から集って「音頭」「ちょんがれ」等を唱い、踊りが終ると三役が選ばれ「大関」は名を記されて堂内に奉納されている。(『南般若村史』より)

 何時の頃からか、「子宝観音」といわれ、子供が恵まれない方が、21日間続けてお参りすると子供を授けてくださるとか、お乳の病が直ってとか、又は、良い縁談に恵まれたとかいわれ、多くの人がお参りにこられます。その祈願された釘の跡がまわりの木々に残されています。(『砺波市の石仏第3集 油田・庄下・柳瀬・南般若』より)

場所は、秋元交差点角にあるコンビニの裏手あたりと言ったほうがわかりやすいでしょうか。
音様の彫られた石は大きく、銘文には「明治十八年九月建之 願主当所若連中 石工森川栄次郎」とあります。
保存は良好、石に彩色の箇所もあり、観音様の表情などもしっかり確認できます。





  • 彫刻