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2014年02月24日  11:51

先日、三郎丸の獅子舞について調査しました。



獅子舞マップを作るための情報をいただいた方へご挨拶に行くと、「あの人もっと詳しいから行ってみられ!」てことで、桜井昭夫さんを紹介していただきました。そしたら、、、

桜井さん・・・ものすごく獅子舞に熱い!!

それもそのはず、三郎丸の獅子舞が休止していたのを復活させたご本人だそうです!
獅子舞復活に携わったお友達の佐藤章一さんも電話で呼んでくださり、三郎丸の獅子舞についてたくさんお話を伺いました♪

獅子舞再開って簡単に言っても、一度休止してしまったものを復活させるって並大抵なことじゃないですよね・・・ましてや獅子舞って自分たちだけじゃなくて地域のみんなが参加してくれないと成立しないし・・・
でも苦労はそれだけではなかったみたいです。
まず獅子舞復活を三郎丸の部落(自治会)に打診するところから始まります。当時桜井さん達は25歳前後。でも「ダメだ」と却下されたそうです。
そして翌年、諦められない熱い若者達は、再度部落へ打診しようやく許可を得られたそうです。
許可を得た話を部落の若衆に話したところ、始めから約40名の賛同者がいたそうなのですが、その多さにも驚きですね。みんな獅子舞が好きなんだなぁ〜。
「三郎丸獅子方設立準備委員会」、「三郎丸獅子方会発起人会」という会を経て、ようやく「三郎丸獅子方会」の設立。これだけ聞いただけでも大変そうです。。
そこからようやく獅子舞の練習、復活へとつながるのですが。。
その後に続けていくのもそれはそれは大変だったそうですよ!

三郎丸獅子方会の20周年紀念誌に、今回お話を伺った桜井さんと佐藤さんの言葉が載っているので抜粋してみます。

「〜前略〜・・・そしてついにこの日、念願の三郎丸獅子舞が正式に復活したのである。それからが大変であった。第一歩からの出発でもあった。いろんな準備、いろんな議論もあった。しかし、それらを皆で話し合い、とにかく昭和49年9月15日より四ツ柱神社境内にて稽古に入ったのである。時の稽古には部落内の若者が毎晩30人以上が集まった。あのとき、以前の経験者の方々に先生になってもらい、伝統ある廻し方を手取り足取りに教えてもらった。この先生方には深く感謝を申上げたい。〜中略〜・・・特に25日の午後からの神社奉納での”サンバソウ”が終わった瞬間、私の胸から何か込み上げてくるものがあった事を今でも忘れない。」(佐藤章一さん)

「〜前略〜・・・小さいながらに、衣裳を身に付け家々を廻り、自分の家へ来ると「お母さんジュース!」。お母さんは「そこになぁい?」大人の誰かが”ほい”と渡し、「有り難う」と言って飲む。「ぶふぁー」と言ってふき出す。それを見て自分の子供の頃を思い出す。目を閉じれば浮かんでくる数々の思い出、語り尽くせないほど。笛、太鼓が聞こえて来ると、じっとしていられなくなる私もその一人である。太鼓を叩くその姿を見て、子供は教えなくても太鼓を叩く。「親の背中を見て子は育つ」というが、本当にその通りだ。20数年前、獅子の復活を願い動き出し、一度失敗。二度目に賛同者が増え、ようやく初声獅子頭を教える先生、太鼓、笛、シシトリの先生と、5回くらいまではみんな大変であった。20回目にもなるとみんな先生クラスだが、子供達に教えるのは中でも一番!皆、教えてもらった自分が今度はお返しである。先輩の苦労が身にしみてわかるこの頃。でもそんな子供達も、10年後、20年後、自分の子供の頃を思い出すであろうと思うと嬉しくなる。」(桜井昭夫さん)

獅子舞復活には賛成意見が多かったものの、時の超長老的存在の人たちは「簡単な気持ち、軽い考えで獅子を起すな。廻し方にも昔からの伝統ある廻し方がある。それを絶対に守れ。」「やるなら10年は続けなければならない」という強い意見が出され、当時26歳の佐藤さんは「大変なことになった」と思った反面、それが”叱咤激励”に聞こえたのだそうです。

一つ意外だったことは、行事に参加する役員に、新興住宅の若者がたくさん参加しているということです。しかも、地元で育った若者よりも参加人数が多いそうです。地元の若者の参加が積極的ではないことに桜井さんも寂しそうでしたが、新興住宅に越して来た方達の頼もしさにはとても満足そう^^すばらしいことですよね!

減りつつある獅子舞・・・辞めるのは簡単でも復活はほんとうに大変!!子供や若者の減少で継続が困難な集落も多いですが、是非続けてほしいです。。こんなに熱い人たちがいるって、いい地域ですね♪とてもうらやましいです。

マツシマでした。


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